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おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集 (日本の古典をよむ)

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 小学館
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江戸俳諧の精髄が味わえる ★★★★★
装丁がいいと、ついその本を手にすることがある。本書の表紙カバーには「紅花(ベニバナ)」が使われている。『奥の細道』「尾花沢」の章に次の句があることによる。
    眉掃(まゆはき)を俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花
 この句の口語訳を次のように記している。
ーー道の途中に紅花の花が一面に咲いている。それは色合いや、形や、名前から、女性の化粧を連想させ、なんとなしに、眉掃きを思い浮べさせることだ。
 本書では、芭蕉の代表的俳文『おくのほそ道』の全文と、芭蕉・蕪村・一茶それぞれの代表的な句を掲げ、分かりやすく解説されている。江戸時代の俳諧がが獲得した世界の豊かさが実感できる。なにかの機会に口ずさめる句を一句でも多く発見したいものである。
  秋深き隣は何をする人ぞ      芭蕉 元禄七年(1694)
  愁ひつつ岡にのぼれば花いばら  蕪村
  目出度さもちう位也おらが春    一茶 文政二年(1819)
 
美しい装丁に、感謝。――太宰と俳句、梶井と俳句、…… ★★★★★
 芭蕉は〈軒の栗〉、蕪村は〈ぼたむ〉、太宰は〈月見草〉、梶井は〈檸檬〉。
 渡部芳紀氏は、太宰治と俳句とのかかわりを、軽視できないもの、と、とらえておられる。この指摘を目にしたからか、太宰治と俳句とのかかわりが、軽視できないものとして、私の目にも映った。具体的に見てみよう。
 誰も見ていない事実だって、この世の中にはあるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。それをこそ書きたい、というのが作者の生甲斐になっている。(太宰)
 世の人の見付ぬ花や軒の栗(芭蕉/本書P43)
 二人とも、誰も見ていない事実――それは、<事実>と言うよりは、<真実>と言うべきかも知れない――に目を注いでいることがわかる。 
 一家に遊女も寐たり萩と月(芭蕉/本書P105)
 太宰の短篇小説「富嶽百景」には、主人公「私」が宿泊していたところに、遊女の団体が立ち寄る場面がある。ここで、この「富嶽百景」にこだわるならば、さきほどひいた芭蕉の句は、つぎのように詠みかえることが出来るのではないか(論題から推して、鈴木邦彦氏や、荒川有史氏によって、すでに指摘済みかもしれない)。
 世の人の見付ぬ花や月見草(受難の県民)
 主人公「私」は同じバスに乗り合わせた、「私」の老母に似た老婆の示唆によって、月見草を発見する。ほかの乗客が富士に目を注いでいたとき、この老婆と「私」だけが、月見草を見ていた。「私」にとってそれは、「高貴な宝玉」のように、貴い体験だったのではないのか。
 塚も動け我泣声は秋の風(芭蕉/本書P110)
 私はこの句を見たとき、『聖書』の一節を思い起こした。死人は、墓からよみがえり云々という聖句や、山に向かって、海に飛び込め、とそう信じて疑わないならば、たちまち、その山は、海に飛び込むであろう、という聖句、プニューマ(風)は心のままに吹く、プニューマ(霊魂)もまた同じである云々、などの聖句を思いおこしたのである。要するに、私は芭蕉の句に、霊的なものを信ずる、芭蕉の姿を見出したのである。あるいは、太宰も、芭蕉の句を私のように解し、共感を覚えたかもしれない。キリスト教に接近した彼のことである。可能性は、あるのではないのか。
 むざんやな甲の下のきりぎりす(芭蕉/P112)
 太宰には、「きりぎりす」という短編小説がある。女主人公の背中の下で、きりぎりすが鳴く、そのきりぎりすの鳴き声を背骨の中にしまって生きる、と彼女は決意し、小説は幕を閉じる。あるいは、太宰は、芭蕉の句を出発点として、この作品を創作したかもしれない。
 故郷に行けば冷遇され、都会生活にもなじめない、小林一茶の境遇には、太宰も共感するところがあったかもしれない。太宰もまた、そうだったからだ。一茶が、雪国に生まれ、雪を詠み込んだ句を残したことも、太宰の共感を誘ったかもしれない。
 (論題から推して、小室善弘氏により、すでに指摘済みかもしれないのだが、)梶井基次郎と俳句とのかかわりも、本書のおかげでほの見ることができた。
 方百里雨雲よせぬぼたむ哉(蕪村/本書P217)
 この一句と、次の一節とは、無関係ではないのではないか。
 檸檬の色彩(しきさい)はガチヤガチヤした色の階調をひつそりと紡錘形の身體の中へ吸收してしまつて、カーンと冴(さ)えかへつてゐた。私には埃(ほこり)つぽい丸善の中の空氣が、その檸檬の周圍だけ變に緊張してゐるやうな氣がした。(梶井/引用は、青空文庫による)
 「雨雲」と「埃つぽい丸善の中の空氣」とが、「ぼたむ(牡丹)」と「檸檬」とがそれぞれ照応している。梶井が蕪村の句を意識していた可能性も、あるいは、あるのではないのか。詠み替えてみよう。
 方二尺ほこりをよせぬlemon哉(受難の県民)
 太宰「富嶽百景」にこだわって、
 方億里俗の目よせぬ月見草(受難の県民)
 本書のおかげで、太宰と俳句とのかかわり、梶井と俳句とのかかわり、について思いをはせることができた。芭蕉が旅先で先人たちを思い、涙することが多いのに驚きもした。「歌舞伎」という言葉は、「傾(かぶ)く」から来ているという。俳諧は、従来の連歌に対して、傾いた存在であったはずである。とすれば、芭蕉もまた、傾き者の一変種ではないか、などとわけのわからないことを思いつきもした。それもこれもみな、本書のおかげであり、本書を手に取るきっかけとなった、装丁の美しさのおかげである。もし、本書の装丁が美しくなかったならば、以上のような思いを抱くことはできなかった。美しい装丁に、感謝、である。

 
江戸俳諧の精髄が味わえる ★★★★★
装丁がいいと、ついその本を手にすることがある。本書の表紙カバーには「紅花(ベニバナ)」が使われている。『奥の細道』「尾花沢」の章に次の句があることによる。
    眉掃(まゆはき)を俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花
 この句の口語訳を次のように記している。
ーー道の途中に紅花の花が一面に咲いている。それは色合いや、形や、名前から、女性の化粧を連想させ、なんとなしに、眉掃きを思い浮べさせることだ。
 本書では、芭蕉の代表的俳文『おくのほそ道』の全文と、芭蕉・蕪村・一茶それぞれの代表的な句を掲げ、分かりやすく解説されている。江戸時代の俳諧がが獲得した世界の豊かさが実感できる。なにかの機会に口ずさめる句を一句でも多く発見したいものである。
  秋深き隣は何をする人ぞ      芭蕉 元禄七年(1694)
  愁ひつつ岡にのぼれば花いばら  蕪村
  目出度さもちう位也おらが春    一茶 文政二年(1819)
 
美しい装丁に、感謝。――太宰と俳句、梶井と俳句、…… ★★★★★
 芭蕉は〈軒の栗〉、蕪村は〈ぼたむ〉、太宰は〈月見草〉、梶井は〈檸檬〉。
 渡部芳紀氏は、太宰治と俳句とのかかわりを、軽視できないもの、と、とらえておられる。この指摘を目にしたからか、太宰治と俳句とのかかわりが、軽視できないものとして、私の目にも映った。具体的に見てみよう。
 誰も見ていない事実だって、この世の中にはあるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。それをこそ書きたい、というのが作者の生甲斐になっている。(太宰)
 世の人の見付ぬ花や軒の栗(芭蕉/本書P43)
 二人とも、誰も見ていない事実――それは、<事実>と言うよりは、<真実>と言うべきかも知れない――に目を注いでいることがわかる。 
 一家に遊女も寐たり萩と月(芭蕉/本書P105)
 太宰の短篇小説「富嶽百景」には、主人公「私」が宿泊していたところに、遊女の団体が立ち寄る場面がある。ここで、この「富嶽百景」にこだわるならば、さきほどひいた芭蕉の句は、つぎのように詠みかえることが出来るのではないか(論題から推して、鈴木邦彦氏や、荒川有史氏によって、すでに指摘済みかもしれない)。
 世の人の見付ぬ花や月見草(受難の県民)
 主人公「私」は同じバスに乗り合わせた、「私」の老母に似た老婆の示唆によって、月見草を発見する。ほかの乗客が富士に目を注いでいたとき、この老婆と「私」だけが、月見草を見ていた。「私」にとってそれは、「高貴な宝玉」のように、貴い体験だったのではないのか。
 塚も動け我泣声は秋の風(芭蕉/本書P110)
 私はこの句を見たとき、『聖書』の一節を思い起こした。死人は、墓からよみがえり云々という聖句や、山に向かって、海に飛び込め、とそう信じて疑わないならば、たちまち、その山は、海に飛び込むであろう、という聖句、プニューマ(風)は心のままに吹く、プニューマ(霊魂)もまた同じである云々、などの聖句を思いおこしたのである。要するに、私は芭蕉の句に、霊的なものを信ずる、芭蕉の姿を見出したのである。あるいは、太宰も、芭蕉の句を私のように解し、共感を覚えたかもしれない。キリスト教に接近した彼のことである。可能性は、あるのではないのか。
 むざんやな甲の下のきりぎりす(芭蕉/P112)
 太宰には、「きりぎりす」という短編小説がある。女主人公の背中の下で、きりぎりすが鳴く、そのきりぎりすの鳴き声を背骨の中にしまって生きる、と彼女は決意し、小説は幕を閉じる。あるいは、太宰は、芭蕉の句を出発点として、この作品を創作したかもしれない。
 故郷に行けば冷遇され、都会生活にもなじめない、小林一茶の境遇には、太宰も共感するところがあったかもしれない。太宰もまた、そうだったからだ。一茶が、雪国に生まれ、雪を詠み込んだ句を残したことも、太宰の共感を誘ったかもしれない。
 (論題から推して、小室善弘氏により、すでに指摘済みかもしれないのだが、)梶井基次郎と俳句とのかかわりも、本書のおかげでほの見ることができた。
 方百里雨雲よせぬぼたむ哉(蕪村/本書P217)
 この一句と、次の一節とは、無関係ではないのではないか。
 檸檬の色彩(しきさい)はガチヤガチヤした色の階調をひつそりと紡錘形の身體の中へ吸收してしまつて、カーンと冴(さ)えかへつてゐた。私には埃(ほこり)つぽい丸善の中の空氣が、その檸檬の周圍だけ變に緊張してゐるやうな氣がした。(梶井/引用は、青空文庫による)
 「雨雲」と「埃つぽい丸善の中の空氣」とが、「ぼたむ(牡丹)」と「檸檬」とがそれぞれ照応している。梶井が蕪村の句を意識していた可能性も、あるいは、あるのではないのか。詠み替えてみよう。
 方二尺ほこりをよせぬlemon哉(受難の県民)
 太宰「富嶽百景」にこだわって、
 方億里俗の目よせぬ月見草(受難の県民)
 本書のおかげで、太宰と俳句とのかかわり、梶井と俳句とのかかわり、について思いをはせることができた。芭蕉が旅先で先人たちを思い、涙することが多いのに驚きもした。「歌舞伎」という言葉は、「傾(かぶ)く」から来ているという。俳諧は、従来の連歌に対して、傾いた存在であったはずである。とすれば、芭蕉もまた、傾き者の一変種ではないか、などとわけのわからないことを思いつきもした。それもこれもみな、本書のおかげであり、本書を手に取るきっかけとなった、装丁の美しさのおかげである。もし、本書の装丁が美しくなかったならば、以上のような思いを抱くことはできなかった。美しい装丁に、感謝、である。