物語の形式で表わされたスーフィーの真髄
★★★★★
82の短編からなり、いずれも面白いが11番目の火の伝説を取り上げる。
ある男が火を起こす方法を発見して伝えた。その後、数世紀が過ぎた。
ある部族では、聖職者が独占して富と権力を保持していた。
ある部族では、忘れられていて道具が礼拝されていた。
ある部族では、ある男が神として祭られていた。
ある部族では、物語として伝えられていた。
ある部族では、実際に利用されていた。
そして、さらに時が過ぎ聖職者と弟子がそれらの部族を訪ね本来の意義を指摘した。
その際の各部族の対応が大変面白い。
現実は、到底因果律で説明できるような単純な代物ではない。
日常世界のあらゆる時、場所に不可視の世界(神性)が浸透しているのに気づかないのは、知っているとする執着による固定化した見方、つまり思い込みであるということである。
スーフィズムは、自我のベールが完全に消滅したとき、神的な直観知が生じる。つまり、私性(自我)は隠れて神性が顕れる。という教えである。
私性が顕れているときは神性が隠れている。(二択ではない)
スーフィズムには複眼の士という言葉がある。
イスラムの伝統的手法として、神秘的な内容を物語の形式で表わすということであるが短編であるためとっつき易い。
解読されるのを待っている。正解などない。その人の思い込みによっていかようにも採れるのだから。
邦訳された真理の泉
★★★★★
そのむかし『ヘブン』という雑誌があった。それとも『JAM』だったか。
そのどちらかの何号目だったかは忘れたが、数日前に届いた本書に収められている物語の一部が掲載されていた。
訳者の名前は違っているがおそらく同一人物だろう。奥付を確認したら1996年初版発行とある。
この二十年あまり、未刊の必読書として何度となく話題にしてきたものを、
刊行されて11年も経ってからようやく気付いたとは、
あまりにも不覚である。
『ヘブン』の頃は高校生だった僕も四十代半ばを迎えてしまったが、
当時これらの物語から受けた鮮烈な印象は少しも色褪せない。
その眩さに圧倒されながら一夜で読み通し、今日も読み返した。
……
訳者のもうひとつの名前を調べてみたら、ようやく隅田川乱一であることが判明した。
しかも本書が刊行された翌年、46歳で亡くなっている。残念だ。
彼はいま「風の両腕に抱きかかえられている」といえるのだろうか。
もうすぐ夜が明ける。
今日は隅田川乱一名義の選集『穴が開いちゃったりして』を探しに行こう。
ぶっとび!
★★★★☆
「寓意に満ちている」とは、こういう話のことだろう。
物語の飛躍がものすごく、共に精神も飛翔する。
編者イドリス・シャーはOSHOの「私が愛した本」で薦められている。
OSHOの講話の中の、ムラ・ナスルディンのおはなしが好きな人にオススメ!
寓話的な短編集
★★★★★
短編の話が集められていて、読みやすいのですが内容は寓話的であり、何かの知恵を暗示しているような話が収められています。一つ一つの話は受け取る人に対して自分がもっている問題への鍵となることをインスピレーションとして与えるかもしれません。そんなことを感じさせてくれる話です。
読めば感じるものがあります。
★★★★☆
寓話的な短編が集められていて、一つ読むだけでも何らかのインスピレーションを感じることができます。
お勧めします。