良質極まりない再読のススメ。
★★★★☆
原典はもう三度読んでるが、これ読んだらまた読みたくなっちゃうし。
読者を選ぶ本
★★★☆☆
『ロリータ』そのものも、若島のこの本も、結局は読者を選ぶ本だろう。『ロリータ』の「謎解き」といっても、実はロリータはハンバートの娘だったとか、ロシヤ革命の比喩だったとか、その種の謎解きが行われるわけではない。細部にいろいろ「仕掛け」があるというだけで、それが面白くない人にはちっとも面白くない。冒頭にはチェスの話が出てくるが、チェスや将棋に興味のない人には、畢竟この本は面白くないだろう。面白いという人は面白がればいいし、面白くない人は人間として生きていけばよろしい。不毛な喧嘩はやめましょう。
キャラクターの煌めく迷宮案内
★★★★★
この本から「きらめき」を見つけられないのは読む方に問題があるのでは?
(「本格的」という言葉の幼稚さにご用心。)
すでに著者訳『ロリータ』注釈から、謎は投げかけられていました。この本ではアルファベット1字1字の枝葉にまで神経を使い虫眼鏡で観察する粘り強い探求で、一般読者をナボコフの迷宮へ導いてくれます。
本の中では、作者ではなく読み手の目線で、一緒に考えながら謎解きの機会やヒントを与えてくれますが、その不器用さに愛情を感じるのは、「素晴らしい読み手であり学者」としての揺るぎない自意識が確立する立ち位置ゆえ。
読書の楽しみを知っているからこそ、説明でお茶を濁すことを恐れているが、その本に対する愛情に胸を張っているような独特の感性が素晴らしい。
案内される方にはそれなりの読解力は必要ですが、世に言う勉強ができるとは違う感性で挑みましょう。
ナボコフを愛し、小説を愛す著者のハートに感動させられますし、ナボコフと言う巨人の暗号を教えてくれ、さらなる読書のおもしろみを教えてくれる素晴らしい本です。繰り返すようですが、控えめさと熱さに、頭脳の明晰さが同居した何とも学者らしい人間性が、透き通って見える文章にあなたも共感するでしょう。
本を愛する私たちに必要な読書本とは人生を読書に捧げたこの著者のような方による暖かく、読者思いの本の事だと思いますが。そして読書とは結局自分で導く迷路。論文ではなく人間的なこの迷宮案内の方が遥かに煌めいて、文学愛好者に境界はない(何故なら文学は人間のものであり、アカデミックとは違う)ことを感じ信頼できます。
※途中で『透明な対象』の解説も紛れるため、こちらの本も読んでから読む事をオススメします。
ナボコフの「ロシア文学講義」に魅せられた「ロリータ講義」
★★★★★
キティのマフに落ちた霜の針や、お喋りしながら食事していて、どうしてもフォークで刺せない、つるつるすべるきのこに目を向けなければ、「アンナ・カレニナ」は単なる通俗小説に思えたし、エマのふわりと広がるスカートについて指摘されなければ「ボヴァリー夫人」も同様だった。これらの作品を再読に走らせたのが「ロシア文学講義」「ヨーロッパ文学講義」のナボコフで、そのナボコフの「ロリータ」を再読に走らせるのが若島氏だ。「読み」の天才ナボコフは、勿論、小説の手品師。こんなに楽しそうに小説を読む人も、こんなに楽しそうに小説を書く人も私は知らない。読者は若島氏のあとについて歩き、ナボコフの仕掛けたトラップをひとつずつ驚嘆の目で眺めるのだ。
ロリータ登場をほのめかす、茶色くなったリンゴの芯や、つやつや光るプラム!ハンバートがロリータの母にして自分の後妻シャーロットとの会話を避けるためにめくる「少女大百科」の「カ」のページ(カナダ、カナッペ、カヌー、カフェテリア、カメラ、カモ、カヤック……)は、何十頁、何百頁あとのロリータの隠しごと、ロリータとの一夜、そしてロリータの破滅という運命を全て暗示していた!?「ロリータ」翻訳者としてもっとも「ロリータ」を読み返した人であろう若島氏絶賛の“全篇で白眉の場面”とは!?……その場面を堪能し、その他の指摘を確認する歓びのために、また「ロリータ」を再読しなくては!
霜の針、パンの屑
★★★★★
今まで若島さんの本は何冊か読ませて頂きましたが、その中でも一番興味深く読ませて頂いています。若島さんの読みが一体どういうものなのか、その読み手を綿密に、かつ劇的に示してくれています。小説の読みは十人十色なのでしょうが、この若島さんの「読み方」を知る、というだけでも一読の価値は十分にあると思います。彼の言う「読み」とは、パンの屑を拾うような、祝福するような白樺の霜の針に目をとめるような、細やかでやわらかな「営み」なのだと思いました。
良質極まりない再読のススメ。
★★★★☆
原典はもう三度読んでるが、これ読んだらまた読みたくなっちゃうし。
読者を選ぶ本
★★★☆☆
『ロリータ』そのものも、若島のこの本も、結局は読者を選ぶ本だろう。『ロリータ』の「謎解き」といっても、実はロリータはハンバートの娘だったとか、ロシヤ革命の比喩だったとか、その種の謎解きが行われるわけではない。細部にいろいろ「仕掛け」があるというだけで、それが面白くない人にはちっとも面白くない。冒頭にはチェスの話が出てくるが、チェスや将棋に興味のない人には、畢竟この本は面白くないだろう。面白いという人は面白がればいいし、面白くない人は人間として生きていけばよろしい。不毛な喧嘩はやめましょう。
キャラクターの煌めく迷宮案内
★★★★★
この本から「きらめき」を見つけられないのは読む方に問題があるのでは?
(「本格的」という言葉の幼稚さにご用心。)
すでに著者訳『ロリータ』注釈から、謎は投げかけられていました。この本ではアルファベット1字1字の枝葉にまで神経を使い虫眼鏡で観察する粘り強い探求で、一般読者をナボコフの迷宮へ導いてくれます。
本の中では、作者ではなく読み手の目線で、一緒に考えながら謎解きの機会やヒントを与えてくれますが、その不器用さに愛情を感じるのは、「素晴らしい読み手であり学者」としての揺るぎない自意識が確立する立ち位置ゆえ。
読書の楽しみを知っているからこそ、説明でお茶を濁すことを恐れているが、その本に対する愛情に胸を張っているような独特の感性が素晴らしい。
案内される方にはそれなりの読解力は必要ですが、世に言う勉強ができるとは違う感性で挑みましょう。
ナボコフを愛し、小説を愛す著者のハートに感動させられますし、ナボコフと言う巨人の暗号を教えてくれ、さらなる読書のおもしろみを教えてくれる素晴らしい本です。繰り返すようですが、控えめさと熱さに、頭脳の明晰さが同居した何とも学者らしい人間性が、透き通って見える文章にあなたも共感するでしょう。
本を愛する私たちに必要な読書本とは人生を読書に捧げたこの著者のような方による暖かく、読者思いの本の事だと思いますが。そして読書とは結局自分で導く迷路。論文ではなく人間的なこの迷宮案内の方が遥かに煌めいて、文学愛好者に境界はない(何故なら文学は人間のものであり、アカデミックとは違う)ことを感じ信頼できます。
※途中で『透明な対象』の解説も紛れるため、こちらの本も読んでから読む事をオススメします。
ナボコフの「ロシア文学講義」に魅せられた「ロリータ講義」
★★★★★
キティのマフに落ちた霜の針や、お喋りしながら食事していて、どうしてもフォークで刺せない、つるつるすべるきのこに目を向けなければ、「アンナ・カレニナ」は単なる通俗小説に思えたし、エマのふわりと広がるスカートについて指摘されなければ「ボヴァリー夫人」も同様だった。これらの作品を再読に走らせたのが「ロシア文学講義」「ヨーロッパ文学講義」のナボコフで、そのナボコフの「ロリータ」を再読に走らせるのが若島氏だ。「読み」の天才ナボコフは、勿論、小説の手品師。こんなに楽しそうに小説を読む人も、こんなに楽しそうに小説を書く人も私は知らない。読者は若島氏のあとについて歩き、ナボコフの仕掛けたトラップをひとつずつ驚嘆の目で眺めるのだ。
ロリータ登場をほのめかす、茶色くなったリンゴの芯や、つやつや光るプラム!ハンバートがロリータの母にして自分の後妻シャーロットとの会話を避けるためにめくる「少女大百科」の「カ」のページ(カナダ、カナッペ、カヌー、カフェテリア、カメラ、カモ、カヤック……)は、何十頁、何百頁あとのロリータの隠しごと、ロリータとの一夜、そしてロリータの破滅という運命を全て暗示していた!?「ロリータ」翻訳者としてもっとも「ロリータ」を読み返した人であろう若島氏絶賛の“全篇で白眉の場面”とは!?……その場面を堪能し、その他の指摘を確認する歓びのために、また「ロリータ」を再読しなくては!
霜の針、パンの屑
★★★★★
今まで若島さんの本は何冊か読ませて頂きましたが、その中でも一番興味深く読ませて頂いています。若島さんの読みが一体どういうものなのか、その読み手を綿密に、かつ劇的に示してくれています。小説の読みは十人十色なのでしょうが、この若島さんの「読み方」を知る、というだけでも一読の価値は十分にあると思います。彼の言う「読み」とは、パンの屑を拾うような、祝福するような白樺の霜の針に目をとめるような、細やかでやわらかな「営み」なのだと思いました。