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世界文学を読みほどく (新潮選書)

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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非常に面白い書物 ★★★★★
ある意味では、ひとつの『書物』として楽しませてもらいました。
入門書というよりも、これ自体が一つの『作品』になっている。
ここに載っているすべての作品を読んだわけではないのだが、読んだことのあるものについては、懐かしい記憶を掘り起こされつつも、「そういう読みもあるのか」とある意味では啓蒙(笑)され、読んだことのない作品については、「これも読んでみたいな」と思わされ(そして、自分で読んでみて、「あぁ、俺はこう思うな」と、一人で意見交換(笑)する)。
いや、本当に楽しい書籍でした。

もちろん、この本に書いてある読み解き方は、一個人によるものですので、そこには恣意性が付きまといますが、それにしても、楽しい。
いい本です。
「世界文学」という物語 ★★★★★
2003年、夏休みの終わりの一週間、京都大学文学部でおこなわれた授業の講義録。
京大生でもなんでもないわたしが、たった1600円で、自宅の居間にいながら池澤夏樹の講義をじっくり読める。おお、なんという幸福!
文学論の講義…というよりも、池澤夏樹の書斎におじゃまして、その書棚をじっくり見せてもらいながら話を聞いているような感じ。

10冊と言わず、もっともっとたくさん、いつまでもお話してください…と感じさせるおもしろさ。
この本自体が、「世界文学を読みほどく」というタイトルの小説のようでもある。
読んだことのある本は魅力を再発見し、
読んだことのない本の章もしっかり楽しめる構成になっている。
巻末には、「『百年の孤独』読み解き支援キット」なる付録も。
半分も読まずに挫折したガルシア=マルケス、もう一度挑戦してみようか。
小説の読み方を学ぶ ★★★★☆
名作とは、誰もが知っているのに誰も呼んだことが無い作品を言う

というジョークがあります。自分にとってはトルストイの「アンナカレニナ」とかプルーストの「失われた時を求めて」というのがそれに当たりますが、とは言え中身を知らないとサスガに後ろめたい。

こういう気持ちをわかる人には要約よりは深く、しかし批評よりは浅く世界文学を紹介している本書は大変身の丈にあった本だと思います。

深みが無い、という批判もあるようですが、自分にとってはソファに寝転がりながら読み飛ばせる本書はなかなか面白かったです。

「読みほどく」というよりは、「はじめての世界文学」という感じ ★★★☆☆
京大での集中講義という触れ込みの本書だが、
ナボコフ級の名講義を期待すると肩透かしを食らう。

時間的制約もあったとは思うが、
個々の作品の歴史・地理的背景についての
大まかな説明が導入部でなされるほかは、
「講義」の殆どがあらすじの紹介で終わっており、
ところどころに著者独自の切り口が示されるものの、
「読みほどく」というところまでは
到底届いていないという印象を受けた。
とくに、トルストイが全然読めていないと思う。

とはいえ、本書に挙げられた作品を
あまり読んでいない人にとっては、
興味のとっかかりを見つけるブックガイドとしては、
それなりに有効かもしれない。
私自身、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』は未読だったので、
読んでみようかという気にさせられたのは確かだ。

ただ、自分の作品を錚々たる「世界文学」に並べるのはどうか。
もちろん、実作者だから語りうることも多くあるはずで、
講義の場を借りてつい語りたくなったのかもしれないが、
個人的には、池澤氏は「評論家」だと思っていて、
氏の小説自体はあまり高く買っていないので、
(理由は単純で、知性の勝った人が小説を沢山読んで
 頭で捏ね上げた話だという印象が拭えないからだ。)
自作について語るなら、場を改めて欲しかったというのが、
正直な感想である。

蛇足になるが、『魔の山』の回で、
例によってドイツの歴史地理的事情を語りながら、
ドイツがフランスよりも中央集権の遅れた後進国で、
地方分権的な構造の国家であることについて、
「それは、統一が遅くて、地方に小さな国がたくさんある状態が
 長かったからではないかとぼくは考えています」(p.215)
と述べられているが、別にそんなことは池澤氏に考えてもらわなくても、
すでに共通認識と化した事柄ではないかと感じた。
小説を読む楽しさを教えてくれる ★★★★☆
数多ある小説に一つの系譜を読み取るとすると、こんな具合になるのかと感服しました。スタンダール、ドストエフスキーの小説は「一人の神から派生したディレクトリ、樹木状の構成」をした世界であるが、「世界は個々の項目の羅列から成り立っていて、それらの間には関係性が深いものと深くないものがある。全体を統一するディレクトリはない」ことをメルヴィルは『モービ・ディック』で書きたかったのではないか、そしてジョイスの『ユリシーズ』がこれを極め、ガルシア=マルケスが『百年の孤独』で新たな小説を提示する。それは細部と全体が同一のパターンを示すフラクタルにつながる。

小説を読むことの楽しさをつくづく教えてくれます。挫折していた『カラマーゾフの兄弟』を読み始めたくらいです。そしてレメディオス・バロや入沢康夫など、池澤夏樹がこだわっている人もまた魅力的。これでは人生が何百年あっても退屈しない気にさせる。

ただ、池澤氏の解釈もまた、バラバラに存在する小説群に一つの「樹形図」を見出そうとするものではないのかと思いますが、これまた余計な一言でした。