秩父「事件」を 国民に伝えつづける大切な作品。
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西野辰吉の『秩父困民党』。井出孫六の『秩父困民党群像』。井上幸治の『完本秩父事件』、松本健一の『秩父コミューン伝説』等。
明治17年に日本国に現実に起きた秩父「事件」。この「事件」をどう評価するかは 日本列島に住む者への重たい問いである。
西野辰吉、井出孫六らは秩父「事件」を 日本国民に 広く知らせた作家たちである。。
この「事件」後、百年経過したとき、この「事件」に想いをはせた人たちが「ほらふき大会」をもよおしたことがある。
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■鬼寄神事公告
吉備・備中・備後三国「ほらふき」大会をとり行います
鬼寄神事公告
高岸まきは、熊谷刑務所から来た夫・善吉の屍体引き取り通知書を表情も変へず見つめてゐた。まきの目先きを「自由自治元年」の幟がはためき乍ら消えていった。
―秩父困民党の蜂起から今年は丁度百年になる。
怒りの坩堝(かんか)から赤鬼に化身した高岸善吉が鬼寄神事の祭主をつとめます
来る二月十八日午後三時から翌十九日午後三時までの二十四時間を〈まつり〉の刻とします。
乞食(かんじん)さん・狂者・はみだし・盗人におまわりさん どなたもおいで下さい。ぬくもりと満ち足りていただける程の飲食を用意してお待ちしています。
常には見知りかなわぬ鬼や鬼の卵たちとの出会いの刻であればいいのですし、放歌放吟・演説・口論・格闘、時には助平な善男善女の歌(かがい)に浮世を忘れてもいい。
どのようなもになろうとも〈ひと〉が創り出す〈まつり〉であればいいわけです。
勝手な時に来て勝手なことをわめき散らし、勝手なときにお帰りください。
一九八四年一月 謹言上 世話人
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それから、すでに、二十四年経過した。この〈まつり〉をつくった者たちの多くは 既に 死去した。夢を追い求めた者たちが この世にいたことを知ってほしい。
『秩父困民党』の「事件」の評価は 今も 我らは問われているのである。