あこがれのギブソン-J45
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私が小学校6年生の時に、ラジオでこのアルバム中の「祭りのあと」を聴き、感動して、初めて自分の小遣いをためてこのアルバムを買いました。小学生にもわかる楽曲の素晴らしさで、無駄曲が1曲もなく、40代になる今までに何百回と聴いたかわかりません。全体を通しての構成もよく、飽きない曲順になっています。ギターの音色もすばらしく、アコースティックギターのアルバムとしても傑作です。私も念願かなって数年前にやっと拓郎と同タイプのギブソンJ-45を手に入れました。拓郎のエッセンスがつまった、全曲コピーしたくなる歴史に残る名盤です。
春・夏・秋と元気です
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以下はリリースから37年後に初めて聴いた一リスナーの感想です。
耳馴染むキーボードリフで巻頭を飾る「春だったね」でいきなり飛び出すポップセンス、あるわざとらしさを駆使した歌い方に強い第一印象を持ちました。追憶の夏が諦めと憧憬の念の入り混じったように淡々と歌われる「夏休み」、秋の夜長を過ごす若い恋人の光景が簡潔ながらも目に浮かぶ素敵な歌詞が光る「旅の宿」。アルバムで聴く「旅の宿」は、よく知っているそれとはアレンジがだいぶ違っていて、アコギの音や中間のブルースハープソロが抜群によく、こちらの方が曲想にぴったり合っているようです。モップスのブルースロックカバーとまるで対照的な「たどり着いたらいつも雨降り」の、夏の温かい雨の中を行くような軽快さもいいです。
偶然なのか意図的か、春、夏、秋のイメージを持つ印象的な歌を順に上手く配置したせいで、スムーズに聴き通すことができるアルバムでもあります。ボーナストラックが入っているのかと勘違いするくらいの15曲収録は、普通ならげんなりするはずですが、そうならないのは、贅肉を削ぎ落とし、それぞれの歌の核だけを際立たせることによる賜物なのでしょう。既に達観したかのような、この潔さにはかなり感銘を受けました。
ああ〜拓郎節!
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懐かしいアルバムです。レコードでは、1972年に発売されています。当時僕は、このレコードを何回も聞きながら、ギター・コピーをしたものでした。
アコースティック・ギターの「せんこう花火」「祭りのあと」は、名曲です。「夏休み」「旅の宿」は、拓郎のスタンダード・ナンバーです。「たどりついたらいつも雨降り」は、当時モップスが歌ってヒットしました。
これは、拓郎がフォーク界のプリンスとして確固とした地位を築いた頃のもの。拓郎が拓郎らしかった時代の一枚で、充分に拓郎節を堪能できるCDです。
天然男ここに極まる
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従来の因習に囚われず、素のままで歌い続ける歌い手に、時代のほうが
擦り寄ってきてしまったのでしょう。
当時、メッセージ色が薄い歌を歌う拓郎氏を、「フォークの旗手」と認めることは、同時代を生きたものにはずいぶん抵抗がありました。
反戦歌や体制批判で始まったフォークが一般化していく流れ、
反体制のシンボルだった長髪がファッションとして認知され、普通の若者や中年男性まで髪を伸ばし始めた流れ、、、
その流れを作ったのが、拓郎氏ではないでしょうか。
それは、同時にフォークの時代の「終わりの始まり」でもあります。
数年後、彗星のように登場する、荒井由美女史にフォークは引導を渡されます。
そしてメディアはそれをニューミュージックと名づけるわけですが。
拓郎氏は、時代を動かした男として評価されるべきです。
米国でロックが不良の音楽とされた時代と同様に、関西フォークは左翼学生や
ヒッピーの音楽と思われていたころ、「結婚しようよ」や「旅の宿」をヒットさせ、長髪でギターを弾く若者も
別に変な危ないヤツらじゃないんだと、世間の見方を変えたのですから。
これは日本のサージェント、ペパーズです。
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ビートルズを知らないより知ってた方が絶対に豊かですよね、拓郎に出会えて、出会うことができた人はしあわせですよね、これを手に入れることができたしあわせは・・・どれだけ豊かになれたことか。
それは拓郎のファンはこのアルバムに関しては共通した宝物だから、皆でしあわせなんだよね。
なんかさ・・・恋人ができたりすると、二人にしか解らないことがあるじゃないですか、外から見てるととてもアホくさとか思うんだけどね、
その「アホくさ」ってのがさ・・・
この元気ですってのが、ものすげーアルバムだって俺たち皆は解ってるけど、「アホくさ」って思って人が居るってのが、
いいよいいよ知らなくて、中途半端に解ったなんて言われたくないし、外に居ていいからって思う訳です。
・・・歴史に残る名盤ですよ、宝物なんだからさ、大切にしてもらわないと困りますものね。
これを残せたことで、拓郎さん・・悔いはないでしょう、これは日本のサージェント、ペパーズです。これに出会えてよかった・・・。