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砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

価格: ¥3,990
カテゴリ: DVD
ブランド: 松竹
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   国鉄・蒲田操車場で起きた殺人事件を追う二人の刑事・今西(丹波哲郎)と吉村(森田健作)。彼らが東奔西走する中、気鋭の若手作曲家・和賀(加藤剛)は『ピアノと管弦楽のための「宿命」』の作曲に没頭していた。やがて捜査の末、事件と和賀が結びついていく……。松本清張のベストセラー小説を原作に、名匠・野村芳太郎監督が手がけた日本映画史上に名高い名作中の名作。コンサートで奏でられる『宿命』の壮大な調べに乗せて、事件の真相や犯人の過去などが綴られていくクライマックスは、まさに画と音の融合そのものであり、何度観ても涙腺が緩んでしまう。さて今回のDVDは撮影監督・川又昻立会いの下、デジタルでフィルム傷や色調などを繊細に修正したデジタルリマスター版で、音声も5・1サラウンドにグレードアップしたもの。これによりクライマックスの感動もひときわ盛り上がりを見せ、そこらの新作など入り込む余地もないほどの優れものとなっているのだ。(増當竜也)
此れが名作???? ★☆☆☆☆
亀田市への捜査帰りにいきなり列車の中で、今西栄太郎警部補と吉村弘刑事が和賀英良と同じ列車の中に乗ってるなんて、安っぽい火曜サスペンス劇場のようだ。

女が布切れを列車の窓から捨ててるところをたまたま新聞の連載小説家に目撃され、「紙ふぶきの女」という新聞の連載小説になり、其の連載小説をたまたま吉村弘刑事が見て、読んだだけで事件に関係があると気付き、作家に電話すると作家は其の女を知っていて、吉村弘刑事が女を訪ねていくと、そこに和賀英良がやってくる。

偶然にも程がある!

更に三木謙一は和賀英良の写真を見て、何十年も経っているのに、当時7歳だった少年、本浦秀夫が和賀英良と同一人物であると気付くって、
そんなのありえねえだろ!なんでこんなのが名作なのかね、日本人って御馬鹿なの?
丹波哲郎がカッコよすぎです。 ★★★★☆

紙吹雪の女が出てくるところとか、最初に電車で、犯人と乗り合わせるところとか、たしかに設定に無理があるところはたくさんあるが、そういう欠点をおぎなって十分な魅力が本作品にはある。

小説もとても味があるが、映画もまた違った味があって、ぜひとも鑑賞すべきいい作品だろうと思う。
丹波哲郎がとてもかっこいい。

こういう映画を昔の邦画は作れていたのに、なぜ、今はこういう映画はつくれないのだろうか。
原作を超えた芸術。 ★★★★★
原作を先に読んでいた私…初めて野村監督作の映像を観たときの衝撃は、今でも忘れられません。
ここ数年、山や田畑の緑が眩しくなる季節になると、必ず『砂の器』で大泣きするのが、我が家の恒例行事になっています。
原作にはない、美しい日本の自然美と、らい病患者の父と子の宿命的な暗闇の旅路。
らい予防法が撤廃されたのは、90年代。忘れてはならない日本の現実が、しっかりと描かれていました。
原作は、中盤ちょっと長いかな?と思いながら読みましたが、映画は展開が早すぎるくらい。しかし、原作を超えた日本映画の不朽の名作です。
親子で見たい映画 ★★★★★
松本清張の小説は、人間や社会の深層にひそむ悪意や醜さを告発する、
性悪説に基づいた内容が多いのですが、映画「砂の器」は、ぜひ親子で見てほしい映画。
もうお涙頂戴はわかっていつつも、加藤嘉と子役の男の子の苦楽をともに
した放浪と別れのシーンは、劇中の丹波哲郎と一緒に思わず涙涙涙。
ミステリというより人間ドラマですね。
デジタルリマスター版ということで、四季のあざやかさとともに、
感動も蘇った気がします。
これは保存版決定DVD。
凡人のワテの人間形成に影響したといえる人類史上最高の映画 ★★★★★
山田洋次監督ですら脚本担当、という当時のオールスターキャストによる古きよき日本映画の金字塔的作品。デジタルリマスターということで、シャープのアクオスの最新46型液晶テレビで鑑賞さしていただきましたけども、やはり本作は劇場向けに撮影されておりますから、26年前に松竹の映画館で見たほうがやはり凄かった。さすがに筋までは全部覚えておらんが、各シーンはかなり覚えておる(あるいは、リマスター版ではちょっと編集しておるのかもしれん)。

デジタルリマスターにより、田んぼの風景や昔の日本にはどこにでもあった看板、いまとなっては古めかしい家屋、テーマ音楽とともに悲哀や宿命を感じさせる海と海辺の映像が大変クリアになったのがエエ。音声がアナログなのが影響しておるのか、ちょっとだけですけども映像とずれとるような気(とくに丹波哲郎と森田健作の捜索シーン)がいたしました。

今となっては、テレビのドラマ版を観た方の方がむしろ多いかもしれんです。で、そちらと比較しますと、映画の方は和賀(加藤剛)のせりふはほとんどなく、今西刑事(丹波)や吉村刑事(健作)の側から、和賀の内面に迫ろう、というアプローチ。リメークされたドラマでは、和賀(中居君)が自宅でピアノの前で沈思黙考(あるいは作曲)したり、トヨタソアラで現実逃避したり。もっとも対照的なんが、和賀(秀夫)が最後に千代吉(父親)とドラマでは再会しひざまずいて慟哭するところが、映画では、ピアノ協奏曲の弾き振りの舞台裏(東京文化会館大ホールと思われる)で、逮捕真近で幕となる点。この心理的アプローチの違いは明らかに作り手が意図したもので、それぞれの味わいの違いの比較を楽しませてもろうた。時代の違いによる千代吉のらい病と放火による隔離の違いはむしろ、些細な違い、と思えますがな。

後に霊界を説いた丹波哲郎が解明してゆく捜索は、なにやら神懸り的でスリルがあるし、今西(丹波)刑事が捜査のためにたづねた千代吉が和賀の写真を「こんな人、知らん!」といって号泣するシーンは、世界の映画史上最高のシーンやろうと思います。

26年も前に観た映画なのに、ずっと脳裏に刻み込まれていたシーンはやはり千代吉と秀夫の放浪のシーン。わらぶきの家から日本海、雪景色の野や神社を通り、桜の野でのいじめ、夕焼けの田んぼ、飯ごう、きれいな緑と警官、そして亀高の三木巡査。凡人のワテの人間形成に影響したとさえいえる、人類史上最高の映画やな