誠実な方針で書かれた反論
★★★★☆
人の意見は多様なので、戦争論に反発する人がいるのも本書に反発する人がいるのも当然の事だが、少なくとも本書はここで批判されているように感情的な人格攻撃や非論理的な悪口で構成されているような不誠実な本ではないと思う。それは冒頭の「今求められる批判とはゴーマニスト達を真理の高みから見下すように罵倒する事でも、したり顔で迎合する事でもない。私達一人ひとりが戦争論に対抗する平和論を表明する事だ。」という指針の言明からも分かる事である。
本書は六名の論者の独立した文章からなっていて、戦争論批判という共通点を除いては言っている事も文体も多様である。また戦争論に比べて視角に訴えるものがないとも言われてるがそれは嘘で戦争論に対抗してか、漫画が二つほど収録されている。
個人的に面白く感じたのは宮台氏とみどり氏の二人。後者は半ば好意的とも思えるほど小林氏の長所や魅力にも触れつつ、丹念にその主張や経歴、またその支持者の言葉や心理を分析していく。小林氏は元々は正義を疑う人であったという。正しいとされている事を疑う事を進め自分さえをも疑うように促した、結果その一貫した態度が多くの支持を集めたそうである。だが戦争論に至った小林氏はかつてあらゆる正義を疑えと言っていた立場を捨て、自分が国家という正義を押し付けるに至ってしまった。みどり氏の話は大体そんなものである。
前者、右だけでなく左の馬鹿もやられてしまえと挑発的な姿勢でものを語る宮台氏はひときわ異彩を放っており本書では切り込み隊長のような立ち位置にある。その論旨は基本的に小林氏の戦争論、ナショナリズムを一種の共同体主義と判断し、それをリベラリズムの観点から徹底的に批判するもの。
重要なのは公というものが何なのかである。小林らのような右翼は短絡的に公を国と同一視するがそのような公観は全く古臭く、既に失効していると宮台氏は言う。では現代の常識としての公観は何かというと、それは特定の共同体成員ではなく共同体間に分布する者らに担われ作られる公である。それは過去ポリスなどで共有された共同性としての公と異なり共同体間・個人間の共生条件を意味する。簡単に言えば多様な個人や多様な共同体が上手く仲良く共生できるためのルールや想像力、対話、工夫が公なのであって「お前はこの国に生まれたのだから問答無用でこの国に御奉仕しろ」などという公は時代遅れも甚だしい…と宮台氏は小林氏ら右翼を批判する。
共同体が失われアノミー化が進んだ社会では脆弱な弱者が意味や権威にすがる。共同性の消滅で行動前提、道徳の基準が崩れた事に衝撃を受けた小林氏は「じゃあ戦前戦中に存在した国民的共同性を復活させればいい」と単純に考えた。しかし国民的共同性が歴史的に現実として衰退したのにその原因を問う事もなくまた復活させようなどと言うのは無教養な保守派にありがちなロマンでしかないと宮台氏は言う。宮台氏は誤解されがちだが共同体それ自体の復活を否定しているわけではない。実際ここでも宮台氏はアノミー化を放任する事を説くわけではなく、戦前戦中的な国民的共同体の復活ではなく、代わりにデュルケム的な選択共同体を処方箋として提示している。それは共同体を過剰に頼らずに済む(頼らないわけではない)制度と生き方を樹立する処方箋だとされる。それは共同体の否定ではなく、ただ自覚的に選ぶ事が可能な共同体を求めるものである。いわばこれはリベラルな選択共同体、それに対して保守派に右翼に小林氏に主張され宮台氏が批判するのは、全く選択できない共同体、ただそこに生まれたというだけの理由で愛国心や滅私奉公を強要される公としての国民的共同体という事になる。リベラルな価値観を持たない人にとっては「日本に生まれたのだから日本を愛し誇るべきだ」「公は国家だ」という言明にはなんら違和感が感じられない。多少なりともリベラルな感性を持つ人間にはこの二つともがとんでもない言明に思える。両方ともに何故?と問う事ができ、両方ともがなんとも理不尽だからだ。ここに保守的な共同体主義とリベラルの決定的対立点がある。
また上記は公観や国家、愛国心に関してだったが戦争に関しての宮台氏の見解は端的に言えば、戦争の評価は思われてるほど簡単に出来るものではない、というものだと思う。つまり戦争の是非や罪の重さは非常に複雑で多様な要素から判定すべきであって、例えば南京大虐殺があったかどうかだけで左右されるものでもないし、戦争がアジアの一部の国の独立に少し役立ったというだけで正当化されるものでもない。「戦争を一つの事項で代表させるな」と宮台氏は分かりやすく豪語する。「インドネシアは独立した。だから日本の戦争は善かった。」「南京大虐殺はあった。だから日本の戦争は悪かった。」という右翼左翼の思考は全く同質で等しく愚かで、対立してるようで似た者同士、というのが宮台氏の見解である。
あんまりでしょ
★☆☆☆☆
戦争論を購入し、偏ってはいけないと妄想論を買いましたが、軍配的には妄想論の妄想だけが際立った結果となった。
宮台氏や姜氏の主張は公私の社会全体の小林氏への反論であったが、その他の執筆者の数人が、小林氏の人格を中傷することや具体的な説明ではなく、学生の1人が私の講義で小林氏をまやかしだと気づいたと記述したり(では、それを本書に書けばよかったのでは?)小林氏の信用を失墜させようとする人が多くてうんざりした。
個人的には、具体的にではどうすればよかったのかや第一次資料を検証することを期待していたのに、掲載されているのは、戦争は大変だ!小林は間違っている!と声高に叫んでいるだけのインターネットの書き込み以下だと思う。
時代考証や資料批判を期待して買ってはいけません。
小林よしのり『戦争論』への的確なツッコミ
★★★★☆
どうも評判はよくないようだが、読んでみると論旨も論証もしっかりしている。
小林よしのり氏『戦争論』に対する的確なツッコミを随所に見ることができるのだ。
例えば宮台真司氏は「もし本当の伝統ならば、伝統を選べなどというまでもなく
そこにあるものである」(P.21)「アイデンティティとは、会社をクビになっても
家庭が崩壊しても、自分は自分だと言い続けられる根拠です」(P.27)と
強引に日本の伝統とやらにアイデンティティを置こうとする態度を突き崩し、
戦争の裏づけとなるイデオロギーと戦争の是非は別に議論すべきだとも説く(P.48)。
また、宮台氏と姜尚中氏がともに、個人・故人の思い出を持ち出して
論理で反論することをためらわせる小林氏の手法を指摘している点は特に注目すべきだ。
(P.51、P.63)
中西新太郎氏の章はいささか難解だが、「公共性を再建しようという呼びかけは
自由な個人をつくりだそうというメッセージを孕みうることを理解せず個人主義を攻撃している」
との指摘は面白い。何人もの個人がうまくやっていきましょうというのが公共性だからだ。
小林氏がレディーファーストとセクハラを同列に公共心として論じていること
(『戦争論』P.345)の矛盾を指摘しているところもいい。
それ以外の論者もそれぞれにいい仕事をしているのだが、いちいちあげるときりがないので
真に残念ながらそちらは割愛させて頂いて、最後に孫引きで恐縮だが以下の文章を紹介しよう。
「兵士の目的は、往々誤り伝えられているように国のために死ぬことではない。
それは国のために殺すことである。」
(P.120、J・A・ホブスン『帝国主義論 下 原文は旧字体)
本書について惜しむらくは、『戦争論』のような視覚的で分かりやすいインパクトがないこと。
ただ、『戦争論』を読みこなせる人なら本書も読みこなせるはずだから
一読はしておくことをお勧めする。
金返せ
★☆☆☆☆
あああ・・・
久々にお金と時間を無駄にしたという実感を得ました。
内容があまりに酷すぎ
・・・今時、朝日新聞だってここまで酷くないよ。
宮台、姜、にインタビューだけしてでっちあげ。二人とも結論がない。
水木しげるは、いつもおんなじ。読まなくても内容が分かる。
石坂は汚らしい全共闘宣伝集のためのマンガ。目が腐った。
金と時間を返してくれ!
おバカさんが多いのね
★☆☆☆☆
戦争論の間違いを資料と合わせて、理論的に間違いを指摘する…。
なんてことはない。まず最初から子供のような悪口を読まされる。きつい;
小林よしのり精神論(偏見野郎どもが行く〜)にタイトル変えろよ…。
とにかく不快です。