作品中登場する人々は市井の人や歴史の教科書に登場するような武将であったりします。彼ら・彼女らが時代背景の中で愉しみ、苦悩し、決断し、命を賭けた様子が生き生きと描かれています。無論、資料のない部分は想像であり、実際とは違っていたのかもしれません。しかし、その想像には生き方の一つとして多くの人々が共通して美しいと感じるモデルが含まれていると思うのです。
例えば、「茶漬三略」は小悪党の孫平治が秀吉との出会いで大きく人生を変えるという話です。英雄に付き従う人間とは現代人の私が考える以上に幸福なのかもしれません。自分より器の大きな人物に付き従っていくうちに自分自身も変わっていく際のエネルギーには考えさせられます。
「鬼」も大仕事に当たる責任者の気概という観点から勉強になりました。津軽藩に仕える棟方与右衛門は無謀と囁かれる津軽平野の治水策の責任者となり、過去の落ち度を払拭するべく仕事に打ち込みます。「鬼になれ。――鬼になってやらねば出来ない(p.173)」という覚悟は、大仕事の際には必要なことかもしれません。しかし、同時に最後まで逃げなかった労働者たちが、かつて棟方が命を助けた福原主水の説得によって残っていたということも勘案する必要があります。棟方が一人鬼と化して土を運んでも労働者が全員逃げ出せば工事は遅れるだけで、主水の陰ながらの活躍があったからこその成功です。そんなことも考えさせてくれます。