歴史問題を考えるよすがとして
★★★★☆
2002年外務省の鈴木宗男騒動のおりオランダ大使で退官した著者は、そのまま帰国せずに、オランダ、アメリカ、韓国、台湾等の各地の大学で日本外交史の講義や研究を行ってきた。本書は、この6年間の海外での研究生活中に大学院ゼミやセミナー、共同研究で発表した論文や日本の雑誌へ寄稿したものがベースになっており、靖国神社・従軍慰安婦・東アジア外交・原爆投下・東京裁判等の歴史問題が扱われている。
一読感心したのは、まず著者の態度が公平で禁欲的なことだ。大学での講義準備やセミナー発表のための自分の研究過程を述べ、歴史的事実関係と解釈・意見部分は峻別する。たとえば靖国神社問題に関しては、戦後50年の村山首相談話を的確にまとめ多様な論点が簡明に整理されると、その後の今に続く国内外の賛否や反響も理解しやすい。また海外在住研究者の視点からの論考も貴重だ。それぞれ相手国側(韓国、台湾、米国)で議論し考え抜いた日韓問題、日中台関係、原爆投下問題についての論述は説得力に富む。それでも著者の意見は研究生活から生まれた現時点での見方であり、確定解ではないと慎重だ。
ただ、評者にとって著者の考えがすべて同意できるものではなかった。明治維新から敗戦までの日本近代史を台形になぞらえる考え方はあまりにも単純で気になる。また自分の祖父東郷茂徳が被告有罪となった東京裁判については、太平洋戦争は自衛のための戦争であり侵略戦争ではなかったと、冷静な著者にしては感情的で短絡的に思えた。
上述のように個々の点で異なる考えがあっても本書の欠陥にはなるまい。日本人の歴史認識が愛国史観と自虐史観の両極端に別れ対立している現状を憂える著者からの「もうそろそろ終わりにしないか。オールジャパンで大きな方向性を探ろう。」との結語的提言はまったく同感だ。時間のかかる困難な課題であるが、本書に立ち戻り考えてみてはと思う。
まずは国民に謝罪しろよ
★☆☆☆☆
著者は本書の中で自身が狭義の強制を認めた河野談話派であるといっているのにも関わらず、安倍元首相の当初定義された証拠がないという発言を擁護して、それに対する欧米メディアの反応や各国の公式謝罪決議を問題視しています。こういう原因を作り出したのが、当時ろくに調べもしなかった著者ら官僚達であるのに、よく残念だとか他人事のように言えますね。安倍元首相の発言を擁護するなら河野談話派などといっているんじゃない。そして国民に謝罪しろ。
原爆投下についても他のレビュアーがいっているとおりダブルスタンダード。まぁ日本の尊厳を踏みにじるという意味ではそうとは言えませんが、どうやら著者は中国や朝鮮半島との歴史的な共通認識をつくりだそうとしているときに、アメリカとの間で新たな揉め事を起こすことは愚策だといっているようです。歴史問題を自国内の安定に使っている輩にそんなことやっても無駄。それは歴史が証明しているのに、本当学習能力がないですね。それに中国朝鮮との歴史認識が解決したって、アメリカに抗議なんてしないんでしょ。これもまた日本の対米追従という歴史が証明しています。
しかし、こんなとんでも外交とんでも戦略を賞賛するためにダブルスタンダードじゃないと他のレビュアーのコメント欄で言いはってやまない人たちは、普段から日本を性犯罪国家だと罵しり、原爆投下を絶賛する人たちでしょう。このような人たちがいるのは本当に悲しいです。
歴史問題の整理に役立つ良書
★★★★☆
河野談話や村山談話の内容を読まずにいろいろと不毛と言っていい論旨がなされるなかで、日本の戦後から現在まで引きずっている各種の歴史問題が纏められた一冊です。
恐らくは反対する人も多くいる著者の意見だが、現在という視点でしか歴史を見られないというのは日本だけではなく、世界的な現象で考えてみれば当然でもある。
(物事を自分からの視点でしか考られない)
歴史的な背景による外交の難しさや著者の葛藤など示唆に富んでいます。
少し読みづらい点があるのが難点ですかね。
日本の戦争中、戦後史を勉強するには、ベストの一冊。
★★★★☆
ロシア問題を専門とする元外交官と理解していたが、この本に述べられている項目は、日中・日米戦争にまつわる話題を幅広く解説しておられ、実に共感できる内容であった。また、引用されている書籍の数は驚嘆に値し、それらの書籍を手当たり次第に読むことで、更にこの間の歴史の勉強ができた。
日本の学校教育で、この本の諸項目が現在どの程度教えられているのか知らないが、少なくとも私が、中学生時代(昭和32年〜35年)に習った社会の授業にはほとんどなかったように思う。特に最後の項目「私のなかの東京裁判」で、祖父(開戦時・終戦時外務大臣)のことに遠慮深く言及され、「法的に罰せられる必要のなかった人たちの名誉回復」という発想をされたのには、引用されていた書籍"時代の一面”(東郷茂徳著)を読んで、著者は法的に不可との見解であるが、本当にそのような機会があってもいいのではないかという印象をもった。
戦中・戦後史を勉強したい人にとっては、必須の書籍だと思うし、また、引用された、「重光・東郷とその時代」、「隣の国で考えたこと」「韓国ほど大切な国はない」「時代の一面」「秘録東京裁判」等も併せ読まれることを薦めたい。
明らかな二重基準
★★★☆☆
東郷氏は靖国問題に対してしばらくの間「モラトリウム」によって首相の靖国訪問を中断せよと主張している。その背景には氏の「日中間で歴史にかかわる問題が提起された場合、けっきょくのところ加害者の立場に立つのは日本であり、そういう日本が歴史に対して謙虚な姿勢をとり、相互接近のための第一歩を踏み出すことは、日本の道徳的な立場を強めるからである」という考えが背景にある。
さらには、戦後賠償についても、「道筋としては、これまで、法的追求を恐れて控えていた謝罪と補償を、官民とともに人道的な観点から、自発的に実施するのである」とも書いている。本来、戦前のことは、日韓基本条約や日中共同宣言でいったん区切りをつけているはずなのに、それ以上のことを日本が謝罪や補償を行うことが日本の国益にかなうと東郷氏は考えているのである。
「私自身は明確に、”河野談話派”だった。私の年代の外務官僚としてはそれが一般的な立場だった」と書いているから、今外務官僚のトップにいる人は東郷氏と同じ考えを持っていると推察される。
ところがアメリカに対する東郷氏の考えは中国や韓国に対するものとは全然違うのである。アメリカの原爆投下は日本の非戦闘員をねらった明らかに国際法に違反するものであると私は考えるが、東郷氏は「他方において、原爆投下を巡る歴史認識の問題について、日本政府、国会議員、及び公の立場にある人は絶対に軽挙盲動しないことが肝要だと思う。いま、この認識を変えることを求めて、日本政府が対米交渉を行うのか。私は絶対に反対である」と書いている。アメリカに対して「歴史認識」を持ち出すなと主張しているのである。
さらに東郷氏の祖父である茂徳氏が有罪となった東京裁判についても彼は同様の主張を行っている。「平和に対する罪」とは「1928年から1945年まで侵略戦争を企図し、計画し、準備し、指導した共同謀議が存在し、それは連合国及びその他の平和国家に対して遂行され、国際法及び、神聖な条約上の義務に違反する」というものだったが、これは現在からみても明らかな嘘がある。しかし、東郷氏は「政府レベルであるいは国会を含む公のレベルで、私は、この問題をいまけっしてアメリカに提起すべきではないと思う。それはまったく不要な過去の亡霊をもって未来の日本外交の立ち位置を脆弱化させることになる。我が国の国益に決してプラスになることはない」というのである。
彼はアジア諸国に対しては、日本が歴史的なものに対して謙虚になることが日本の道徳的な立場を強めると説いていたはずなのに、同じことをアメリカにもとめることは日本の国益にならないと言っている。明らかに2重基準を使っているのだ。結局そのことは「東京裁判史観」を日本に定着させるだけの効果しか私はもたないと思う。そのようなことを戦前の対米交渉に苦労した東郷茂徳氏は望んでいるのだろうか。
感動した
★★★★★
靖国と東京裁判の関連を知りたかった。私は靖国問題が純粋に国内問題であると感じていたから、それが今のように激しく国際問題になるということに疑問を感じていた。私自身はクリスチャンで、靖国にそれほどの思い入れがあるわけでないが、大戦を戦った人々の霊廟である靖国に、人々を戦地に送った指導層が参拝するのは当然と思っていた。そして、いろいろ問題があるにせよ、自分の考えが正しいということを再確認した。とくに、A級戦犯と呼ばれる日本の指導者の弁護士であったアメリカ人の発言が素晴らしかった。