虚構の割合
★★★★★
幽霊の2/3の中に、エイモス・コットルは含まれていない。
訳は無駄もなく申し分ないのだが、解説が蛇足である。
他作品のトリックを暴き出す行為に批評や述懐の価値は存在しない。
センスあるタイトルに留まらず、女性の所作における描写に躍動を感じる。
キャラクターに濃淡があり、差こそあれど皆が一様に人間らしい。
『幽霊の2/3』とは、提起された問題に参加者が順に答えていき、
誤った答えを出した者から1/3ずつ減って行くという、他愛のない余興である。
だが、人生という長い過程で日々に生じ出る疑問や岐路に、
見誤った選択肢を重ねるのはやがて先細り消失する自己を
確約するだけの作業に他ならない。消極的な自殺だと言える。
多くのミステリーの探偵役は、大言壮語とは断じないまでも
自らの知りうる推察や考えをその切れ端のみ随所で匂わせ、
読者や登場人物の注意を引こうと試みる事が往々あり、確かに
その形式はジャンル内で見ても多数派かつ王道で人気は高い。
ただ僕はそれが嫌いだ。カーのフェル博士にも釈然としなかった。
この度に久しぶりに好感の持てる事件の解決者に出会えた事が望外の喜びでもある。
オークション市場では10万円という途方もない値段で売買されていた『幻の名作』
★★★★★
オリジナルは1956年リリース。ヘレン・マクロイ(1904-93)の15番目の長編にあたる。1962年に守屋陽一氏の訳で邦訳されたが長く絶版。オークション市場では10万円という途方もない値段で売買されていた『幻の名作』である。今回復刊リクエストで第一位となり、めでたく新訳で再刊された(2009年8月28日初版)。ぼくが手に取っているのは既に4版であり、ファンの熱望ぶりを感じる。
まずプロットが非常にすばらしい。斬新だということが読み進んでいって初めて分かる。故に最初はなんとなく退屈なのだが、最後に向かって益々謎が深まり、驚きの結末となる。このあたりが人気の秘密なのだろう。作者ヘレン・マクロイは夫もブレット・ハリデイという有名なハードボイルド作家だが、物書きとその周辺にあつまる者たちにやはり詳しく、そのあたりの素材の扱いがこの作品をより光らせていると思う。
ここに登場するベイジル・ウィリング博士は精神科医だ。フロイトの引用や強迫観念に対する詳細な解説は相当にその手の研究を勉強した上で書いているのを感じる。それがこの作品を他にないものにしていると思える。実に現代的な作品でミステリー好きは必読である。
“幽霊”の正体とは?
★★★★★
出版社社長の邸宅で開かれたパーティーで、人気作家エイモスが毒殺される。
パーティーに出席した者たちの大半が、エイモスの著作の恩恵
を受けており、彼を殺害して得をするような人物は見当たらない。
たまたまパーティーに出席していた精神科医ベイジル・ウィリング博士は、
謎の多い被害者エイモスについて調査することになるのだが、その過程
で、エイモスの意外な“過去”に直面し……。
“人気作家エイモス”という存在に仕掛けられた二重のギミックが秀逸な本作。
物語の段階ごとに事件の構図をがらりと書き換える決定的な
データを出すタイミングも絶妙で、読者に、先を読まさせません
(特に動機の隠蔽とそれが更なる犯罪を生み出す展開が巧妙)。
とはいえ、解決の前にベイジルがほぼ答え同然といえる犯人の
条件を列挙しているのはいかにも不体裁ですし、毒殺トリックが、
××の借用というのもマイナスだとは思いますが、本作の場合、
そうしたフーダニットやハウダニットが主眼ではないので、あまり
気になりません。
また、本作は、出版業界の裏事情を描いた内幕ものでもあるため、
随所に作者の底意地の悪い皮肉や諷刺が横溢しており、思わず
笑わされてしまいます。
そしてなんといっても『幽霊の2/3』というタイトルが秀逸。本作を読み
終えると、このタイトルが、決してこけおどしではないことが判ります。
カリスマタイトルの復刊
★★★★☆
「ひとりで歩く女」に衝撃を受け、他の作品を探す中でその未訳作品
の多さに落胆したものですが、このタイトルが書店に平積みされていた
のを目にしたことで再び衝撃。
このように期待に胸を膨らませて読む場合、経験上7割方、失望の方
が大きいのですが、本作は3割の方です。
内容は、出版業界での内輪のパーティーで毒殺事件が起き、居合わせた
精神科医のウィリング博士が謎を解いてゆくというミステリー。
ちなみに、謎解きの本格というよりも、記憶喪失の被害者がなぜ殺さ
れる必要があったか、"WHY"に重きをおいたサスペンスミステリーです。
そしてやっぱり、「幽霊の2/3」(原題:TWO-THIRDS OF A GHOST)という
趣のあるタイトルが、作品のカリスマ化に一役買っていますね。
伝説の名に恥じない快作
★★★★★
日本の本格ものは英米作品の影響を受けながら発達してきました。その中核部分にぴったりはまるのがこの作品です。
メイントリックに至る説明はいささか書き足らず、犯人特定は(日本人にはとくに)難しいのですが、フェアな伏線があちこちにばらまかれているため、背景となるプロットは論理的かつ容易に看破できるでしょう。「毒チョコ」他のアントニー・バークリー作品を思わせる、探偵小説を含んだ商業文学・文学批評や探偵小説家としての自己韜晦を交え、なかなかハイブロウな笑いも楽しめます。