生と死と学問のドラマ
★★★★★
著者は、日本の発達心理学では知らぬものはいない質的心理学研究の第一人者である。しかしその著作集の、しかも第一回目の配本が、喪失を主題とする本書であることは、幾重にも象徴的なことである。
本書は著者がこの15年以上にわたってあちこちに書いてきた喪失論である。第1章は総論となる書き下ろしで、発達心理学を語りと喪失に開くことで、さらに豊かにしようという提案がなされる。以下の9章が各論で、第2章ではクラインマン『病いの語り』の再分析からエリクソンの生成継承性という重要な概念を提出する。第3章はF1ドライバーの死、第4,5章は震災における友人の死とその変化、第6,7章は生死の境で出てくる天空の語りをいかに心理学として継承してゆくか、第8章はグラウンド・ゼロ、第9章はイギリスにおける墓地における弔いの言葉と装飾、第10章では死者との共生を取り上げ、最後に「おわりに」で、自らがこの主題に至った体験を語り直している。
生涯発達の心理学がこうした太く伏流する想いに支えられていたことは何とも感動的だ。心理学のみならず、近代の学問の殆どが生を前提とした議論であったが、生きとし生けるものが必ずや死ぬ宿命にあるとすれば、その命の宿り方を前提にした「ほんとうの学問」が必要なのだ。そしてその学問に至るまでに、まだまだ現在の学問の言葉は成熟していない。
例えば私たちはよくテクストという喩や(物)語りという術語を使ってしまうが、和語の「いきる」や「はなす」の語根的含蓄に思いを致す時、本当にこの主題にふさわしい言葉だろうか。あるいは二人称の死の心理的な共生が焦点化されているが、エネルゲイアという言葉の持っていた本来的な意味から、私たちが普段何気なく食べている生命の死の世界へと、関心は開かれないだろうか。本書を読んでいると連想がどんどん豊かになってゆく。だからこそ本書を強く推薦したいのである。