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音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥1,050
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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日常語で行う哲学のライブ ★★★★★

 大森氏は、哲学をやるというのは一種の病気であり、緑野に枯れ草を食らうことにたとえる。考えなくても済むこと、むしろ考えることが日常生活に支障さえきたすに関わらず、考えずにおれないという病にとりつかれた人が哲学者なのである。しかし、誰の中にも哲学者の素質は1,2%あるという。この本を読んで少しでも面白いと感じるものがあったなら、自分の中の1,2%の哲学者が目覚めたということだろうか。

 本書にもいわゆる専門用語はいくつか登場する。特に坂本氏の発言にある音、音楽に関する用語は私にはまったく理解できず、したがってそれに絡む対話部分は読み飛ばすしかなかったが、それ以外についてはおおむね平易な日常語で語られる。術語や学史的用語が出てきても脇役的な位置づけである。

 メインは、本書の大半を占める大森氏が日常語で哲学するくだりである。〈今〉〈知覚〉〈イメージ〉〈意志〉〈私〉といったテーマで、氏が語る内容は既成観念をことごとくはずす捉え方を提示する。それは慣れ親しんだ考え方または感じ方とは異なるから、わかりにくいし、私もわかったと言える自信はないが、それでも「へえ、なるほど、すごい」と思える瞬間がある。「表現によって立ち現れてくる事態」、しかも全く予想もしなかった事態に向き合うのである。それが専門語ではなく、日常普段の言葉で行われる。

 哲学した結果を読むのではなく、哲学のライブに立ち会う感覚をもって読み進んでいける。〈今〉というのが点や断面ではなく、幅のある〈今頃〉という言葉に置き換えられる。喩えをもって説明が重ねられる。しかし次には喩えが不適切だとされ、他の説明が続く。しかしそれも十分ではないとされ、別の表現が試みられる。〈今〉という事態の端的な表現を求めて模索するその過程を通して、読者は哲学者とともに〈今〉なるものへ接近していく。正解にたどり着けないとしても、このスリリングな体験を共有した読者は、従来と異なる相の〈今〉が見えてくるはずである。
シンクロニシティ ★★★★☆
今読むとかなり面白い。つまり、脳のシステムに関する研究も進んでいなく、「共感覚」という現象もまだ取り沙汰されてなかった時代に出された本だけれども、哲学と音楽という立場からすでに、そういったテーマを先取っていたんですね。
私事で恐縮ですが、友だちから、中沢新一&細野晴臣によるちくま文庫の『観光―日本霊地巡礼』とともにプレゼントされて読みました。YMOの両ブレーン(ごめんなさい、幸宏さん、あくまでロジックという意味です)のキャラの違いが浮かび上がって興味深かった。でも、『観光』と対になるのは、村上龍&坂本龍一の『EV.Cafe』かと思っていたけど、本質的には、この『哲学講義』なんだろうな、と改めて実感しました。っていつの時代の話でしょうか?