すさまじい生。
★★★★★
終戦の前年に自分を支えてくれた妻を結核で亡くし、1945年8月6日、広島で原爆被災。1951年自死。何というすさまじい生き方だろう。私の持っている新潮文庫版の表紙は、今の表紙とはデザインが違い、赤と黒がベースでかなりインパクトが強いものだが、それに惹かれて当時手に取った。原爆体験はかくも壮絶なのか、と読むのが痛々しいほどだ。最後の「心願の国」は著者の遺書といっていい文章。文章の最後に描かれている詩は、清冽なまでの透明感にあふれている。
被爆で生き残った者の気迫
★★★★★
被爆した後の作者から捉えなおせば、八月六日以前の日でさえ滅亡の予感を持って語られ、この本のそこかしこで破滅の陰がちらつく。原爆投下の日々をえがいた『夏の花』三部作も凄惨だが、生き残った者の精神的風景を綴った『鎮魂歌』も鬼気迫った気迫が感じられる。繰り返される「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ」
「僕は堪えよ、堪えてゆくことばかりに堪えよ。僕を引き裂くすべてのものに、身の毛のよだつものに、死の叫びに堪えよ。それからもっともっと堪えてゆけよ、フラフラの病に、飢えのうめきに(中略)最後まで堪えよ、身と自らを引き裂く錯乱に、骨身を突き刺す寂寥に、まさに死のごとき消滅感にも……。それからもっともっと堪えてゆけよ、一つの瞬間のなかに閃く永遠のイメージにも、雲のかなたの美しき嘆きにも……。」
随所に挿入される、カタカナ交じりの叫びは言語を絶した効果を上げている。〈水ヲ下サイ〉で始まる句
天ガ裂ケ
街ガナクナリ
川ガ
ナガレテイル
オーオーオーオー
オーオーオーオー
夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ
原民喜はたしかに堪えた。しかし感受性の鋭い彼にとって、被爆体験と十万を超える被爆死者達から生き残った事実はあまりにも重圧だったのかもしれない。
詩人の見たヒロシマ
★★★★★
「あの日」について、その場にいて、その目で見た者が自ら惨禍を綴った物語。そのすぐ後に原爆が落ちると後から思い出せば、その日の身の回りのことも、あるいはそれ以前の出来事も悲しみも何故か意味ありげになり、そして激しいその瞬間を生きのびた後は、何もない。ただ透明な虚無に沈み、この世を去るばかりである。遺書のように添えられた詩は、悲しいなどという次元ではない。船に乗り海外へ行く遠藤周作を見送るときには、自分自身がその船に乗っているかのような離人感にとらわれる。すでにこのときに彼の精神は危なかったのかもしれない。
この本で原民喜を知ったら今度は原爆ドームに行って欲しい。そこに彼の文を記した石碑がある。佇んで見守って欲しい。気がつけば昨今の国際的騒動のなんと愚かしいことか。そういうことを考え、平和について思いを巡らせる手がかりとして、この本を強く推薦する。
感動の原爆小説
★★★★★
みごとな(という表現はおそらく不適切だとおもうが)原爆小説である。
淡々とした描写、客観的な描写。かえって生々しく、過去の現実に目を背けたくなる。
収容の「美しき岸のふちに」(だったとおもうが…)は秀逸である。
泣ける。すべての世代の人へ。戦争を、知らない若者にも。
Please read this book and think about it
★★★☆☆
広島での原爆の話です(作者の体験)。描写がリアルで、ありのままを忠実に表現していると言えると思います。原爆の話は多くありますが、「夏の花」はその時の人々の様子をよく表わしています。おしつけがましい意見は書かれていないので、読む人それぞれに、いろんな感じ方があるでしょう。題材的にちょっと難い話かもしれませんが、表現は単調で、スラスラ読めるものです。老若男女問わず、ぜひ一度は読んでみてください。