テレビっ子世代のテレビ論
★★★★★
著者は1960年生まれ、どちらかと言えば都会の教養高い家庭に
育った、自身「テレビっ子であった」と述べている世代である。
テレビの黄金期、隆盛期を生きた世代である。
昨今否定的に語られがちなテレビというメディアを、国民のコア
を形成する教養を提供するメディアとして実証的、体系的に論じ
ようと試みた研究書である。
(日本の)テレビのプラスの側面を論じ、成功しているように見
える。
ただ、この著者も「あと書き」で、書くのにこんなに苦労すると
は思わなかったと述べ、やはりテレビの現状を憂いている。
本書と、この少し後に出た「おテレビ様と日本人」(林秀彦著)
合わせて読むと興味深いと思う。
教育テレビ史
★★★★☆
テレビの歴史を、教育の観点から紡いだ本である。
日本のテレビの志、日本教職員組合などの資料を駆使したこと、テレビ史がわかることなど、有益な本である。
テレビに対する批判、大いに結構である。ただ、やはり、テレビのウェイトが低くなるのはやむをえないのではないか。双方向であるし、情報が満載のインターネットが主になるのは避けられないだろう。となると、情報弱者対策としては、安価で使えるパソコンの開発こそがもっとも有益と私は考える。つまり、著者が主張するような情報弱者のためのテレビというのは、成り立たないのではないかと思う。この点で、星1つ減らして、星4つ。
テレビなしで、共同体意識や、最低限の社会的教養は成り立つだろうか
★★★★★
告白しますと、本書を読むまでは「テレビなんて」という、いくぶんか娯楽番組中心のテレビメディアを見下したような意識がありました。それと比べると、本などの活字メディアの方が、内容が深く、価値あるもの、と思っていました。また、現在では、普及したインターネットの方が、必要な時に、必要な情報をだけを効率的に取り出せます。
でも、テレビなしでは、共同体意識や、最低限の社会的教養は成り立つだろうか?
佐藤さんの問題提起に、たしかに、テレビにしか提供のできない「テレビ的教養」の価値が、否定できそうにないぞ、と考えさせられました。
本書は、「テレビの持つ(娯楽ではない)教育・教養的要素がどのように捕らえられてきたか」、という観点から、テレビ誕生時から現在までの変遷を、歴史的にさかのぼり、資料を元に構成されたものです。テレビといえば、バラエティ、娯楽、と短絡的に思ってしまうのですが、インターネットの普及がそうであったように教育的価値があってこそ、国家政策としての後押しが成り立ったということを、再確認させてくれました。
また、活字やネットなどの個別化されたメディアと比べて、テレビの方が、文化的階層差や世代、地域の違いを超えて、人々に広く受入れられやすく、その話題を共有することで、共同体意識が作られることも確かです。
テレビの流す内容物がコミュニティへの参加意識や教養(の最低ライン)を作るんだ、という意識を持ってこそ、テレビに対し、批判的監視の目が働きそうです。テレビには、人を踊らせる扇情的な要素もありますが、否定や無関心に傾くよりは、戦略的な教養普及装置、として捕らえる視点こそ、テレビと社会の望ましい関係なのかな、と。
ただ、現状を翻って見ると、どうしても、「日本語の壁」から不自由な状況も、踏まえておく必要はあると思いました。この壁は、日本で、日本語のみのテレビを享受する人々にとって、「国家というコミュニティへの帰属意識」を作りうる一方で、世界からワンクッション切り離されてしまったり、大手テレビ局に見劣りする地域メディアへの関心を削いでしまうとも言えそうです。これは、英語圏や多言語圏と比べて、「テレビ的教養」効果に、大きく作用するのではないでしょうか。
テレビの教育力
★★★★★
テレビは、教育の地域格差を平準化するための番組を放送し、それを通して一定の「知」をそなえた標準的な「国民」を創造するためのメディアであった。その教育媒体としてのテレビの栄枯盛衰の過程を詳細に跡づけ、さらに、格差社会における情報弱者が出現している現在、そのテレビが本来もっていたはずの「国民」教育装置としての機能を再評価すべきではないか、ともの申す問題提議的な研究書である。
戦前のラジオ放送に期待された「国民教育メディア」の性格や「一億総動員」のパワーを継承したテレビは、戦後、教育における「一億総中流」を達成するための大衆メディアとなった。それは「教室」という限定的な時空を超え、「教師―生徒」という上下関係を無化しうる夢のような装置であった。児童が家庭内で自主的に「勉強」できる「セサミ・ストリート」が登場してきた1970年代はテレビ教育の黄金時代であったが、その夢は、「放送大学」というテレビ教育の理想的な形態が誕生した1980年代半ばには色あせ始める。ビデオさらにはテレビゲームの台頭によって、テレビは必ずしも「番組」を視聴するためのメディアではなくなり、さらにインターネットの勃興によって、その情報発信媒体としての権威は失墜しつつある…。
本書を読んで反省してみれば、確かに自分はテレビ(教育テレビやニュースのみならず、高度なお笑い番組や名作テレビドラマ等まで)を通して色々と「教養」を深めてきたよなあ、と改めて思う。もし今もインターネットやゲームがなければテレビへの教育依存度はより高かっただろうし、また逆に、テレビそのものがなければもっと無知な人間になっていただろう、とも想像した。あるいは、雑学的なクイズ・バラティがゴールデンタイムを席巻している現在、これは「教養」のベースになるのかな、と考えさせられたりもした。色々と思考を刺激してれる良書である。