あれじゃライブの会場に居ることの楽しさは他の客の半分以下だろうなとか、彼にとってのライブとは彼個人の「追憶」そのものなのかもなぁ、と現役ポール・ファンの自分には一抹の淋しさを感じさせる行為でした、反面教師として音楽ファンであることの現役を長く続けたいと決心させられた夜でもありました、その一月前のローリング・ストーンズ公演でのこと、ストーンズをさっぱり知らないのに時の勢いで入場してしまった少年がキース・リチャードに向かって「いいぞ、ギタリスト!」と叫ぶのを見たときにはちょっと怒りが湧きましたが、ライブの観客の姿勢とすれば少年のほうが正しいことは言うまでも無いでしょう、
その点において著者はまったく違います、60年代の熱情を現在も元ビートルズ達に注げる稀有な存在です、そんな熱さが魅力であるとともに、逆に評者のような現役の音楽ファンから見れば、生涯のかなり早い時期に決定された「趣味嗜好の範囲」から決してはみ出そうとしない印象も強く受け、現役の音楽ファンによる文章ではではないなと感じる次第です、強烈にある世代なりある層なりを代弁しているともいえるでしょう、著者が明治から続きいまも絶えることのない日本固有でもある「私小説作家」の系譜の末端に位置する印象を与える原因でもあります、
「ビートルズを聴いて懐かしいとか青春の思い出だとか思わない。
だって今まで毎日のように聴いてるんだから思い出になるはずがない。」
こんな感じの記述がありましたが、これには 激しく同感。
入っていない。次はこの作品を世に出して欲しいものだ。