私は思いのほか、「私」を知らない
★★★★☆
本書は『「意識」とは何だろうか』などで知られる知覚心理学が専門の科
学者、下條信輔によるおよそ10年ぶりの新書である。
フロイトを始祖に持つ精神分析の誕生以降、狭義の「心」だけが「私」を占
有しているという思い込みには疑義が挟まれた。その「私以外の私」、本
書で「潜在認知」と呼ぶそれと、情動の関わりをとらえていくこれは300ペー
ジの大著だ。
「報酬系」では理解できない音楽のもたらす「快」の謎をベースに、まず読者
に示されるのは、親近性と新奇性の両極端の感覚刺激を好むという「感覚
皮質の暴走仮説」など、我々が無自覚にも呼応している情動と潜在認知の
性質だ。
ただ面白いのはここからだ。話は情報あふれる現代のコマーシャリズム、政
治報道という具体的事象との潜在認知の関係に移っていく。著者はコマーシャ
ルでの顕在認知(つまり「私」自身がすでに気づいていること)の存在を認め
ながらも、先の親近性、新奇性の議論を応用問題が、CMには隠されている
というのだ(ヒントは同じタレントが起用される別種類のCM、だ)。また、物語
性にとんだ現代の政治の「情動操作」の一端を、“9.11”以降のアメリカを具体
例に考えていく。
終章では、潜在認知についてのそれまでの理説を応用した「天才」や「創造性」
にまで話題が広がり、著者自身が雑多な内容になったことをわびているが、そ
れも内容豊富と考えればご愛敬だ。
「情報」の総量は、おそらく100年前より格段に増えているだろう。そして、我々
の潜在認知が「操作」される局面も。ただ著者は、コマーシャリズムと政治に述
べた章を総括するにあたり、潜在認知におよぶそうした「情報操作」の禁止と、
それへの抵抗を我々に促すといったベタな見解も述べない。どっちみちそれは
不可能なのだから。それより著者が提唱するのは「潜在レベルで抵抗する策」。
キーワードは「マクドの賢い客」であるが、詳しくは本書を手にとってみてほしい。
潜在意識と顕在意識
★★★★★
人間の記憶や知覚には顕在領域の他に潜在領域があり、潜在領域は利用される弱点にも創造の源にもなりうる、というのが本書のアウトラインである。まず広告やメディア、娯楽は潜在領域に訴える方向に向かっていると筆者は主張する。潜在レベルに訴える事例として筆者は某ファストフード店では客を長居させず回転をよくするためにイスが硬い素材で作られている、という事例を紹介する。客に直接言葉で注意するというやり方が顕在領域に訴える方法なら、座り心地の悪い硬いイスは潜在領域に訴える方法で、客は「無意識に、なんとなく」立ち上がって店から出て行ってしまうというわけだ。潜在領域はこのように「無意識に、なんとなく」コントロールされてしまう弱点でもあるが、負の面ばかりではなく創造性の源でもあるという。人は何か閃いた時「何かが舞い降りてきた」などと表現するが、これは潜在領域にストックされた知が顕在領域に読み出されたということらしい。潜在領域への働きかけに抵抗するのは難しいと筆者は語るが、本書の潜在と顕在というキー概念を知っているだけで、かなりメディアや広告に対して自由になれるのではないだろうか。とても知的刺激に満ちた一冊であった。
苦痛と快楽の距離が近づいている(本文より)わけを知った
★★★★★
本書は題名からして、コマーシャルの脳に及ぼす影響に関する最近の見地を解
説して最終的にはけしからん、といった趣旨の本だろうと甘く見て購入しました。
著者の専門は現役バリバリの知覚心理学、認知心理学の研究者で、私の見込みは
いい意味で裏切られました。巷に氾濫する密度の薄い新書とは一線を画しています。
論旨の根拠になるデータがMRIを用いて刺激に対する脳の活動部位を見出した結果
など新しく、研究者の方に言うのも僭越ですが、科学的な背景がしっかりしている
印象を受けました。
前半の3章はモノを売る立場から、人はなぜそれを買うのかについて、経験的に
知っていたことの裏づけを多く提示してあり、経験と科学的根拠が合致した点で
ためになったと思います。特に好感が持てたのは、それらの事実に対しての情緒的な
評価を加えず事実のみをある意味淡々と提示していた点です。
最終章の「暗黙知の海」に対する著者の仮説も私にとっては賛同できるものでした。
詳細は本書に譲りますが、その中で人間、勉強、経験した事は蓄積されてオリジナリティの
根っこになるということが言われています。そうしたことはたとえ忘れてしまっ
たとしても潜在知として残り、何かのトリガーにより新しい発想の材料になるそうです。
その点では読書好きの私にとって朗報といえます。
『ヒト』の限界寸前まで、過剰な刺激と快楽をエスカレートしている現代社会
★★★★★
『快楽』を求めて『ストレス社会』に生き、『自由』を求めて『他人のコントロール』下に安住する。
このように一見、論理的には矛盾している現代社会と人間の状況を、指摘します。
しかし、この矛盾も、実は潜在認知を巡る現代社会の構造を明らかにすることで、
その意味が、『自覚』できるようになるのです。
なぜなら、人間の進化の歴史とは、
環境に適応的な潜在過程の働きが、
『世界−身体−脳』の結びつきから働くフィードバックの不断のループによって、
環境を自己組織化することだったからなのです。
そのために人間は、内在的な報酬としてのドーパミンの分泌自体に『快』を感じるようになり、
それによって進化の方向性を規定して、潜在過程を適応的に進化させるように促進し、
人間の能力の限界の突破し、その人間が環境・世界に影響を与えていった・・・。
記述された『歴史』ではなく、自覚できない進化の『裏街道』を解き明かします。
『ヒト』の進化に密接な潜在意識下であるがゆえに、他人に質問されても『本人』が自覚できない領域の影響の大きさ。
現代人も、潜在意識下へのコントロールで、『操作』されているとは、夢にも思わないでしょう。
そのとき、合理的な意思決定者として、経済的利益を極大化すべく行動するという、
『合理的人間観』とはかけ離れた、『潜在的人間観』が立ち現れます。
特に、ブッシュ政権やメディアを通じたCMによる『情報操作』を取り上げます。
政治・経済分野からの人工的な刺激は、人間の情動系を刺激して、特定の行動を促し続けることで、為政者・販売者側の『利益』を実現しようとしている実態を明らかにします。
この『潜在意識』への刺激が、『一番儲かる』ということなのでしょう。
『情動』の刺激による脳内の『報酬』が、政治的・経済的な『利益』に転化して実現している。
しかし、それにも関わらず、『ヒト』は無自覚なのです。
つまり、このような潜在意識下の操作が、一番身近なはずの自分自身の『心』に深く浸透しているばかりでなく、われわれの社会そのものを規定している状況を、指摘した名著です。
興味深い本ではない。
★★☆☆☆
華やかな経歴を持つ心理学者であるが故に、先入観が強い。そして、保守的でエリート的。陰謀論、オカルト、超能力と一般的に考えられる事象はひとくくりにされ、ダーウィン、ユング、フロイトなどの引用が多く、買ってしまったので最後まで読んだものの、途中で何度も、読むのを止めようと思いました。刺激的な本ではなく、買ってまで読む様な本ではなかったなというのが感想です。