イエスは何と戦ったか
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前半分(本書を構成する第1〜4部のうち第2部まで)が、イエス誕生以前のユダヤ史である。1度でも聖書を読んだ者なら、なにを今さら、と感じるかもしれない旧約聖書の解釈がかなりのボリュームを占める。
その作業がなんのためだったか、を第2部の結びの一文で明かす。
「こうした時代の空気に抗うひとりの男がいた。彼は時代に呑み込まれ、抹殺されてしまうのだが、本人の意図とは違った仕方で歴史に名を刻むことになる。イエスである。」(149ページ)
こうして、前半分をまるごと使って「イエスは何と戦ったか」を明確にした著者の視点は、その徹底ぶりで際立っている。特に、バプテスマのヨハネに対する辛辣さはあまり類がない。
イエスの譬えの解釈は切れ味するどく、納得性が高い。
その記述を終えて、終盤、上の引用で「本人の意図とは違った仕方で」と書いた意味を明らかにしていく。つまり、キリスト教が、イエスが戦った対象にそのまま重なっていく倒錯を描いていく。
ただ、この終盤の叙述、特にキリスト教の反ユダヤ主義を批判する部分が、いかにも駆け足で喰い足りない。
それは、あとがきで「紙幅の都合上」「割愛せざるを得なかった」と明かされる。
そうした編集の仕方、全体のバランスの取り方には疑問が残るが、次作を期待して待ちたい。
現代の知識人として見識のある宗教観の視座をもたらしてくれた書
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たいへん感銘を受けました。私は、キリスト教徒ではありません。かと言って、仏教徒でもありません。また、宗教を否定するものでもありません。敢えて言えば、仏教の哲学体系には興味を惹かれ、現実世界に真正面から立ち向かう姿勢と自己修養によって仏に境地に至る仏教に共感を覚えます。私は、現代人として、宗教をしっかりとりとした知見の基に見つめ、冷静に、かつ、知的に、つまり、歴史的に、合理的に、そして、最後に宗教的に解釈したいと考え、この書籍を購入、購読しました。一般向けと書いてありましたが、前半のユダヤ教の歴史の章は、かなり、専門的で、一般的な知識では理解が困難な部分も少なからずありましたが、著書の一貫した思想を推し量かり、なんとか、読み進むことができました。
キリスト教を妄信している方々は、聖書に書かれている内容を神がかりになった記者が、神の力を借りて一気に書き上げたものであり、すべてが真実であると公言し、およそ、現代人として、正気とは思えません。また、一方、この世の終わりを妄信する一方、この世での利益を欲しており、神の国を信奉するあまり、民主主義国家や国連をも否定する非社会的規範を持つ愚かなセクトもあります。あるいは、極端に、どんな不幸が起こっても神の御心と言い聞かせ、すべてを飲み込んでしまい、不合理を追求しません。聖書は、旧約も新約も記者の意図を持って書かれたものです。また、一気に書かれたものではなく、長い歴史の中で、多くの意図により改定(改竄)されています。また、俗に言う奇跡などありません。新約の奇跡物語は、現在人としての冷静な合理的解釈やイエスを裏切った弟子(彼らを真実、弟子と言えるのか?)達の屈折した心理の精神分析的解釈が必要です。また、特に創世記は神話ですから、寓話としての解釈が必要です。
そんな中で、この書籍は、キリスト教を合理的、歴史的に冷静に評価、解釈し、つまり、非神話化し、再度、宗教として、再構築を試み、つまり、再神話化しています。聖書が、もしかして、日本の日本書紀や古事記のようなものに該当するのでないかと思えるようになりました。日本人で、日本書紀や古事記を信じ、それを信仰している人々がどれほどいるのかわかりませんが、それを神道(?)というのでしょうか、この書籍は、キリスト教を、特に、ニーチェのアンチクリストに飽き足らない人に、是非お勧めしたい一級品です。
明日の福音のために
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どうして戦争は終わらないのかがわかります。
預言の書。ある意味で。