インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

金毘羅

価格: ¥2,100
カテゴリ: 単行本
ブランド: 集英社
Amazon.co.jpで確認
生きにくさ ★★★★★
スケールが大きい。
そして同時に一個人の、「生きにくさ」からの脱皮の物語でもある。
今まで生きにくかったのも当然、だって私は金比羅!だったのだから!!
「乱心した主人公」と、著者は冷めた口調でちらりと書いていますが、いいや、乱心じゃない。真実、金比羅です。と真顔で断言したい。
主人公が受けた祝福は、他者の目で見たらほんの小さなつまらない事象ではあるが、読者にカタルシスをもたらす。
こんな娘でも一生懸命育てた両親がお気の毒ではあるが(笑)
わがままな作品 ★★☆☆☆
小説って二種類あるんだなと思いました。
作品として独立しているものと、特定の作家の創作物としてうけいれられるもの。
これが笙野頼子さんの作品でなければ、成立したでしょうか。
エネルギーはありました。
でもほとんどが、なにをいっているのかわかりませんでした。
神様に託つけて、自分の不満をぶつけたとしか読めない。
笙野さんだから許される作品でしょう。
笙野頼子の ★★★☆☆
 スタンスというのは尊敬するし、作品も好きなのだが、たとえば、この作品のように神様の話を滔々とされると、ちょっと嫌気がさしてしまう。
 スリップストリームの傑作、人間じゃなくて、自分が金毘羅だと気づいたことによって、生まれてからいままでを語るという、もう、傑作。
 なのだけれど、相性が悪かった。
歓喜 ★★★★★
~壱で引き込まれ、弐でどうなることかと思わせられ、参であらぬところを引きずり回され、四で怒濤のように押し寄せる言葉と感情の奔流に完全にやられてしまい、劇的回心、とも言うべき金比羅としての自己発見のシーンに泣いた。そして最後の一文読了して茫然自失。(『レストレス・ドリーム』のラストシーンを、思わず読み返してしまった)
これまで10年以上笙~~野さんの作品を読み続けてきて、何かデビュー以来の積み重ねに対するひとつのクライマックス、でもあるような、最後の畳み掛けにはそんな勢いと歓喜を感じた。
私小説、SF、スラップスティック、エッセイ、論争、フェミニズム、シューキョーと宗教、その他もろもろを習合してついにここまでたどり着いた純文学作家の境地、これがひとつの到達点、と言われるの~~もうなずける。そしてもちろん通過点なのだと思うと怖い。~
新生笙野文学! ★★★★★
 一頁目から唸ってしまった。“一九五六年三月十六日深夜ひとりの赤ん坊が生まれてすぐ死にました。その死体に私は宿りました”……この手があったのか!
 つまり主人公は金毘羅。女の肉体を仮の宿としている、性別のない魂なのだ。かつてミシェル・ウエルベックは「素粒子」において、モテない男の怨念を描き、最終的に、地球が性別も肉体もない生命体で満たされる未来を夢想した。しかし「金毘羅」においては、初めから主人公は性別も肉体も持たず、時に窮屈な仮の肉体に支配されながら生きる。ジェンダーの問題に取り組んできた笙野氏の、過激な設定に驚く。「女も男になれる」なんて偽善的な建前の男社会バカバカしーい。だってもとから男でも女でもないんだもーん、てわけ。
 そして小説は、太宰・三島ばりの私語りのスタイルで進むかに見えて、決してそうはならない。幼少期の世界との違和というここちよい物語に浸ろうとするたび、高笑いする金毘羅に遮られ、関節をはずされる。金毘羅は人間を嘲笑して曰く“文学の世界で語るべき事が何もないと言ってる人間は、新しく語るべき現実から目を背けているだけ”“「私などない」と言ってる人間は自分だけが絶対者で特別だと思っているからそういう抜けた事をいうのだ”“大量死で文学が無効になったという人間も爆撃テロで文学が無意味になったという人間も自分は死んでいません”。これは、精神を失った肉体の物語が横行する小説界への反逆なのだ。
 デビュー後十年間の不遇時代を経て、その後十二年間“奇跡”的に小説を書き続けた主人公の戦いを、神々のたとえで描く後半はとてもスリリングだ。苦悩の果てに主人公は叫ぶ。“金毘羅だ! 私は金毘羅になった!”この金毘羅一代記は著者最大の力作だが、これが到達点なのではなく、新しい笙野文学が誕生したのだと思いたい。