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「民都」大阪対「帝都」東京 (講談社選書メチエ)

価格: ¥1,785
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 講談社
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学者失格の行為が見られる ★★☆☆☆
関西私鉄と関東私鉄の対比、それに戦前の国鉄と関西私鉄の関係を研究するのは、確かに興味深いものがある。鉄道好みの歴史研究家が書く内容とあって、読み始めるまでは確かにその内容に期待していた。

しかし実際に読み進めるにつれ、私は次第にその内容へ違和感を抱くようになった。そして読了後、独自にネット上で少し研究を試みたが、作者が「自己主張に都合の悪い資料を無視し、資料の良い部分のみを抜き取って自己主張の裏付けにする」という、学者にあるまじき過ちを犯していることが分かった。

この本の中で最も重要な記述となるのは第五章の「阪急クロス問題」であると思う。阪急の小林一三は梅田に国鉄東海道本線を跨ぎ越す高架橋を造り、国鉄への優位性を示すようにしていたが、国鉄東海道本線大阪駅周辺の高架化工事によってやむなく地上線に降りることを強いられた。いわば阪急は国の力に屈したのだ…ということが述べられている。その根拠としては昭和初期の「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」の記事が幾点か用いられている。

だが、同じ年代の「大阪毎日新聞」の記事を見ると、作者の主張が誤りであることが分かる。現在では、インターネットでも大学のウェブページなどから当時の新聞記事の一部を見ることができるが、その中に件の国鉄大阪駅高架化工事に触れたものがある。私は昭和7年6月の「大阪毎日新聞」の記事を見ることができた。それによると、「阪急の高架線工事については国鉄大阪駅の高架化時には地上線に降ろすことが認可の条件としてついていた」、「阪急の高架線には国鉄高架化時に地上線に降ろせるような事前工事が施されていた」ということが明瞭に記されている。「阪急は、大阪駅高架化工事に伴って高架線を地上線に降ろすことを初めから承認しており、その工事費用を国鉄か阪急のどっちが出すかで揉めていたのが真実に過ぎない」ということが明らかである。

作者の資料調べの熱心さ(巻末の参考資料数の多さから分かる)からして、この資料を見のがしたとは思えない。自己主張に合わないことから意図的に無視したのであろう。資料をもとに理論を立てていくのが使命のはずの学者の行為と呼べるものではない。

なお、この作者の他の書籍についても、幾点か同様の過ちを犯しているのが見受けられた。作者は「学者」ではなく「資料を捻じ曲げて自己主張を通そうとする者」でしかない、といえよう。
面白かったです。 ★★★★☆
しばしば指摘されるように、鉄道は学校教育などと並んで国民の共時的体験を演出する装置である。首都から延びる鉄道はそれまで各地域においてばらばらだった人々の意識や文化を一つに統合していく機能を担っていた。

本書独特の切り口は、帝都東京から延びる国民統合の装置としての国鉄に対し、「官」から独立して独自の文化を沿線地域に築き上げようとする文化装置としての関西私鉄を対置しているところにある。国鉄への従属的存在であった関東の私鉄と違い、関西私鉄は国鉄に対し圧倒的優位に立ち、郊外の多くの土地を開発しヘルスセンター、宝塚劇場、甲子園、遊園地、百貨店などを擁する「中産階級のユートピア」を築き上げていった。関西の「私鉄王国」には帝都東京から延びてくる「帝国の秩序」とは一線を画する独自の沿線文化「阪急文化圏」が根付いていた。「帝都」東京に対する「民都」大阪の姿がここにあったのである。

だが、昭和天皇の時代になるとともにそのような「民都」大阪にも「帝国の秩序」が浸透する。昭和大礼に伴う大阪城天守閣の復興や博覧会の開催はまさに大阪の民衆意識に天皇のまなざしが入り込む契機となる。世論が国家になびく中、クロス問題で国鉄に抵抗する阪急は屈服を強いられることになる。「官民協力奮励せよ」という昭和天皇のお言葉の前に人々の心は変容し、「官」から自立した「民」の文化を維持しようとする「私鉄王国」は「帝国の秩序」に取り込まれていく。

国民統合の装置として鉄道を論じるのは決して珍しい論点ではないが国鉄と関西私鉄の対立を帝都の文化に対するローカルの抵抗のアリーナとして捉え、そのポリティクスを浮き彫りにしようとする視点は非常に面白い。大阪に馴染みのあるものならば阪急、阪神といった私鉄のトリビアとしても興味深く読める。

ただ注文をつけるとするならば大阪を自立した「民都」ではなく東京と並ぶ近代の「帝都」に見立てる「上」からの戦略についてはよく論じられているのだがそれを一般の民衆はいかに受け入れたのだろうか。新聞紙上の言説や知識人・政治家の発言といった「上」からの操作のみならず、人々による「下」からの受容の過程を社会史的に描きだしてほしかった。なぜ「私鉄王国」と手に手を取り合ってきた新聞はクロス問題に際し一方的に離反し、民心に「阪急怨嗟の声」を湧きあがらせることになったのだろうか?大阪の民衆にとって天皇とはいかなる存在だったのだろうか?著者が政治思想史専攻である以上仕方がないのかもしれないが気になるところだ。今後の研究に期待したい。
阪急電鉄史 ★★★★☆
 書名はかなり大仰で中身とやや異なる。鉄道を素材とした文化論としてみた場合
には消化不良が否めない。事実と意見が交互に出てくるような感じがする文章は、
とても読みづらかった。

 だだし、本書は阪急電鉄の歴史としてみた場合、大変おもしろい。この20年
くらいの阪急電鉄しか知らない私にとっては阪急グループに関する「トリビア」を
たくさん仕入れることができた。
考察・調査不足は否めない ★★★★☆
関西の私鉄文化を、大日本帝国・天皇秩序との対立という立場で描いた本です。しかし内容に関して、考察が不足しているという感が否定できませんでした。

たとえば第5章の「阪急クロス問題」において、梅田界隈でまるで阪神急行電鉄(阪急)が高架の維持に固執し、国鉄との争いに敗れたため地上線への変更を余儀なくされたなどと解釈できる記述がありました。実際には大正15年に完成した梅田の高架駅は、このとき既に国鉄大阪駅を将来高架化することが計画されていたため、当初から仮構造であって地上線に移行することを見越したものです。対立はあくまで高架化工事の予算問題に過ぎません。

また大阪電気軌道・参宮急行電鉄(大軌・参急)の説明においても、金森又一郎社長の言葉を借り、まるで「精神報国」を目標として伊勢や名古屋へ延伸したというような記述になっていました。しかし、その裏にある伊勢電気鉄道との対立・合併と、旧:伊勢電線救済のためにも名古屋への延伸が必要とされたという事情、「聖都巡礼」を名目とするのが新路線の免許申請に好都合であったという時代背景、更に京阪電気鉄道系列の名古屋急行電鉄が名古屋進出を目指しており、それへの対抗という意味も持っていたということを、きちんと見据えた記述がなされていません。

関西と関東における国鉄・私鉄の関係の違いや、関西私鉄の文化を知るにはある程度有用であると思いますが、その様な考察ミスがあることを配慮に入れておいて欲しいと、正直感じました。
もう少し・・・関西の私鉄を考察して欲しかった ★★★☆☆
確かに、目新しい題材ではないが読者層を「大学生」を意識しすぎたのではないだろうか・・・。関西の私鉄沿線文化には個々に沿線沿いの住民が誇り高く継承している文化があるためその点を言及が甘いのが残念である。
これを鉄道に限らず、鉄道が経営する百貨店にまで話を広げると、もう少し面白い内容が発見されたのではないだろうか。
続:民都」大阪対「帝都」東京を期待したい。