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禅 (ちくま文庫)

価格: ¥693
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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空・如・刹那 ★★★★★
シューニヤター(空)は体験すべきものであって概念化すべきものではない。
体験するとは覚知することであるが、それは普通われわれが感覚と知性の世界で覚知する仕方とは異なる。
感覚・知性の世界は主体と客体の二者対立の世界であり、いつも何かを覚知する主体があり、また主体に覚知される客体がある。
シューニヤターを覚知するにはこの二元の世界を、その外に出てしまわないような仕方で越えなければならない。
その仕方とは、シューニヤターがそれ自体の中にとどまりながら、しかも自己を、自己についての体験の客体となすところにある。
これは自己を分かちながら、しかもなお自己を一つに保つことを意味する。
シューニヤターを見、シューニヤターを知るとは、
シューニヤターがみずからを見、みずからを知ることである。
外に見るもの、知るものがあるのではない。
それ自身がみずからを見るものであり、みずからを知るものである。

タタター(如)とは物事をあるがままに見ることである。
すなわちそれは徹頭徹尾、肯定である。
木を見てそれは木であると言い、鳥の歌うのを聞いて鳥が歌うと言う。
鋤は鋤であり、山は山である。
空の鳥は飛び、野の花は咲く、それがタタターの言葉である。
「平常心とは何か」と問われてある禅僧は「疲れては眠り、飢えては食う」と答えた。
この「平常心」が究極の「道」であり、仏教哲学のもっとも高い教えであると言う。
シューニヤターが真にシューニヤター(空)である時、それはタタター(如)と一つになる。
すなわち、一切の目的論的思いわずらいや、人間の分別による複雑さから解き放たれた生である。

クシャナ(刹那、念)をあえて意識単位と訳す。
意識はこれらの単位を次々とたどってゆく。
意識は時間の中にあり、時間の中で働き、それが時間そのものである。
エカクシャナ(一刹那)は事実上、不可得の最小一意識単位である。
そしてエカクシャナは絶対の現在であり、永遠の「今」である。
エカクシャナとは、永遠から時間がほとばしり出ることを意味する。
エカクシャナはまた、しばしばアクシャナ(無刹那)と呼ばれ、この2語は同義語として扱われる。
随処に主となる! ★★★★★
鈴木大拙の英文は留学中によく読んだが、この書は大拙の絶大な信頼を得た工藤、秋月両氏が翻訳・校閲した比類稀な書である。

中国で完成した霊的産物である禅を他言語に移してその「真理」を説くのは、日本人であればこそ並大抵の努力ではなかったろうが、大拙は胸襟を開いて異質の文化を受け入れたうえで、禅を世界に広めた。その神髄がこの書に表されている。「随処作主、立処皆真」="Truth is subjectivity"(キルケゴール)、これを知的法則によって会得するのではなく、「不立文字」を意識しながらこれを超えて無分別智を体得することを各項で説いている。

昨今、禅師として仰がれる人が少なくなった日本で、「禅」に関してかくも知的な語り口で、示唆を与えてくれる書物があるだろうか。
禅は頭で判ってはいけない、これがこの書の諌めととりたい。 ★★★★★
おそらく英米の東洋神秘思想研究者向けに書かれたものを工藤澄子氏が日本語に翻訳されたのが本書である。目次は第1章・・・禅 第2章・・・悟り 第3章・・・禅の意味 第4章・・・禅と仏教一般との関係 第5章・・・禅指導の実際的方法 第6章・・・実存主義・実用主義と禅 第7章・・・愛と力 という結構になっていて、いわば禅の包括的な概論と呼べる入門書である。工藤氏の訳す日本語は極めて正確かつ明晰で曖昧な文章はなく、すいすいと読めてしまう。ところが、読後、あれっ、何が書いてあったんだっけと、覚束なくなる。これはきっと文章がクリアカットでありながら、禅というものが、西洋の論理や知性を寄せ付けない独特のアンチロジックを備えているため私たちの頭がついていけないからに相違ない。だから繰り返し読むことになる。すると滋味深い意味がじわっといたるところから立ち上ってくる。
 たとえば、「答えは問いのいまだに問わざる以前にすでに与えられている」とか「何か困難にぶつかった時には、われわれはいつでも、仏陀の“悟り”の体験にその究極の解決を求めなければならない」あるいは「禅は、要するに、自己の存在の本性を見抜く術であって、それは束縛から自由への道を指し示す」に端的に言い表されている。
 何度も立ち戻らなければ分かってこないけれど、かといって読んでも一向にピンとこないところもある。それが禅なのだ。そこから『臨済録』や『無門関』などを読めばいいわけだ。本書はそういうふうに仕向けてくれる格好の禅導入書になっている。
いろんな意味で勉強が必要だ ★★★☆☆
 正直云って、仏教などに関する知識を多少なりと持ち合わせていないと読むのはつらいかもしれない。一体、禅とは何なんだろう。ちょっと禅を体験してみようか。などと軽い気持ちで読むと、読み終えるまでに時間がかかったり、読み終えないかもしれない。
 しかし、それを我慢して読むというか、何か得るものがあるはずだと信じて集中して読めば、絶対得るものはあるはず。そこに到達するまでの忍耐力が必要だ。
 読んでいて、はじめは面白くなかったのは事実。それに内容を全て理解していないのも事実。。。しかし、ところどころ、まさに赤線を引くような箇所もでてくるので、それなりに興味のある人はおもしろいかも。
 この本を理解できないところにまだ、自分の甘さがあるのかもしれない。この本をちゃんと理解し得る時、自分はまた一つ大きくなっている気がする。が、残念ながら今はその時期に達していないようだ。。。
禅とはなにか ★★★★★
禅の哲学を語りながら、自分自身の中に知恵を現出せしめる禅の立場を手際よくまとめている。海外に禅を広めた鈴木大拙による解説は禅についての概観を与えてくれる。