本書には「説得か暴力か」「歴史の効用と楽しみ」など7篇に加え、マッカーシズムのあおりを受けて自殺したノーマンを悼む丸山真男の文章も収められている。
ノーマンは生真面目な歴史家であった。自由とは何か、歴史を学ぶこととは何かを常に追求している。そして、その成果を現代社会に還元しようと、努力を惜しまないのである。そして現実社会から隔絶してしまった歴史家への厳しい批判を繰り返している。
現代の歴史家にも、本書を読んでもう一度原点に立ち返って欲しい。と思うと同時に、既に50年前から歴史家の堕落は始まっていたことには、「歴史家の本質か」とも考えさせられる。
ジョン・オーブリ論考が収められていることでも貴重。
ノーマンは幼い頃にアレクサンダー大王の“cut the Gordian knot”の話を聞いて失望したという。解けばアジアの王になれるという「ゴルディアスの結び目」、アレクサンダー大王はこの結び目を一刀のもとに切り捨てたということだが、ノーマンは、「代数学の問題を解くのに巻末の答えを見てからかかるようなものだ」と批判する。
このエピソードが物語るように、ノーマンは歴史学という微妙で複雑な学問を扱う際に、独断や独善・断定、また「歴史の審判」といった危うい考えを誰よりも警戒していた。もっとも内気で繊細で穏やかな歴史の女神クリオにささげられたという本書は、ノーマンの人柄をよく伝えるもので、鋭く温かく繊細な考察には、思わずわが身を省みさせる説得力がある。
「すぐれた歴史学者のあいだで証拠資料の解釈に食い違いがあるという事実は、もって歴塊??の複雑性に対するわれわれの認識を深め、われわれの歴史判断が独断的狂信的になるのを防ぐべき事柄である。」
「大言壮語によって不羈自由という神聖な言葉を汚すデマゴーグらは無謀にも何かの事件や前例をおのれの支えにしようとするが、その解釈を偽ることによって自らの正体を現わす」
以上は本書の一節。近年の日本では、国民の物語や「伝統」をフレームアップしなければ尊厳を保てない、物事に対する真の興味関心の欠落した、足元のふらついた脆弱なデマゴーグが目に障るが、本書は歴史を学ぶ者に歴史の面白さ・奥深さと、学問的・政治的誠実さの何たるかを教えてくれる。
なお本書には、自死したノーマンを悼んだ丸山真男の追悼文が収録されているが、エピキュリアン・ノーマンの姿を哀惜の念をこめて回想した圧倒的名文。