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社長失格の幸福論

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: 英治出版
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   ハイパーネット社倒産の「その後」をつづった著者の自伝的1冊。話題を呼んだ『社長失格』執筆以降の葛藤の日々と再起への歩みを、ベンチャー経営論や人生論などを交えて描き出している。

   会社倒産と自己破産の後、著者は表舞台から退いて実家に身を寄せ、2匹の犬と近くの川を散歩する平穏な毎日を送っていたという。そこで自身を顧みて、次のような考えに到達したという。「すべてを受け入れることが、すべての始まりである」「何もかも失ってしまえば、おだやかな心をもつことができる」「人は所有を追い求めて選択の幅を失い、所有することによって自由を失う」。本書には、こうした著者の達観したメッセージが多数盛り込まれている。

   著者はしかし、そう簡単にすべてに折り合いをつけることができたわけではない。講演活動やマスメディアの取材などで周囲が賑やかになるなかで、「社長失格」のレッテルに束縛を感じたり、自分は何に役立つ人間かに悩んだり、お金や女性との交際の問題で悶々としたりなど、依然として揺れる心の内を明かしている。このみずからを語る率直さには引き込まれるはずだ。

   当時はネットバブルが訪れたころで、そのブームへの客観的な評価や、自身がもつビジネスモデル特許のその後、光通信などの新進企業の下での再起など、読みごたえのあるエピソードも多い。なかでも意思決定やリスクのとらえ方に関する考察は大きな示唆を与えてくれる。頂点を極めた人間が挫折を経て老獪ともいえる強さを得たという、スポーツ界などでよく語られるケースを著者にも重ねてしまうが、本書にはそうした奥深さがある。(棚上 勉)

WEBからの引用が多く、残念 ★☆☆☆☆
前作の社長失格を読んだ後では、非常に物足りない。板倉氏がWEBに掲載していた記事の焼き直しであったり、前作から引用している部分もあり、手抜き感が否めない。前作の社長失格だけを読めば良いと思う。
本当の意味での失敗とは ★★★★☆
板倉雄一郎氏著書「社長失格」の第三弾

ハイパーネット倒産後の著者の生活と、
その生活の中で著者が自分自身を振り返り「幸福論」という形でまとめた自伝。

一つ一つのセンテンスに書かれたメッセージは、
とても奥深い。
頂点とどん底を味わった方のメッセージだから
よけい奥深い。

あるセンテンスのメッセージに

「本人が歩くのをやめたとき、失敗ははじめて確定する」

とある。そして、そのセンテンスの終わりに以下のように書いてある。

「他人が僕の失敗をどう評価しようと勝手だが、自らが自らの全否定を受け入れたらおしまいだ。
僕は、まだ歩くことをやめたくなかった。」

センテンスで自分の経験などを記述し、センテンスの頭にそれを凝縮したメッセージとして読者に分かりやすく伝えている。

これらのセンテンスの頭の凝縮したメッセージが、著者の「幸福論」として読者に伝えたい言葉だと思う。

それぞれのセンテンスのメッセージだけ読んでも、
感じるものはあるのではないでしょうか。
わかる、わかる・・・うん、それで? ★★★☆☆
日々を無為に過ごしたことがある者にとっては、共感できることしきりです。ためになりそうな精神論もたくさん載っています。ただ、今後の読者の行動に、影響を与えるほどのことはありませんね。この作者の本は、なんか、本の売り文句が似たり寄ったりで、どれを買おうか迷ったのですが、この一冊だけで満足できました。
板倉書籍でこれを選んだわたし、正解!
懲りないクンと呼ばれるわけ ★★★★★
自己破産した著者のその後の幸福感の変遷を描いた、「幸福論」というよりは、後日譚といった印象です。

本書のなかで著者は、以前肩をならべていた企業家たちと自分をいまも同格視していて、ハイパーネットが「自分の責任でつぶれた」と口では言っていても、本当は自分の責任で事業が失敗したとは思っていないんだなというのがうかがわれました。最後の前の章で、「失格社長」の「失格」が取れる日まで、というくだりがありますが、前作でも本書のなかであれだけ社長職には向いてないと認識している様子なのに、まだ「社長」をやる気なんだ・・・とおどろきました。またそのすぐ後の最終章では、出会いを大事にしたいということにからめて、自分の犬たちとの時間を描いていますが、その犬たちへの思いとして「僕に飼われたことを幸せに思ってほしい」とあって、このひとはひょっとするとひととの出会いも「他者を自分の下に飼う」ことと思っているのかもしれない、と思えてしまいました。

社長失格のレッテルに負けないで ★★★★★
いちどは自らに社長失格の烙印を押した著者が、そのレッテルに苦しみながら、レッテルを利用しながら復活を志し、これまでになかった自分をみつめるということをしながら徐々に歩み始めるさまが描かれており、「社長失格」ですっかり著者に感情移入してしまった読者にとってはじぶんの身近なひとの再起をみまもるような気持ちにさせられます。

ただ、前作ではできごとに沿って自分の気持ちをストレートに表現しているという印象をもったのですが、今回の作品ではなんだか背伸びしているような印象でした。現状の自分に満足できなかったり、焦っていたり、以前の同業者に張り合う気持ちがあったりするのは無理ないことなのですが、言われたことの底意が「はじめからお見通しだった」というような言い方になっていたり、繰り返し「起業家の僕」という言い回しを使ったりすることで「社長失格」をむりやりはがして、「有能な自分」というレッテルに張り替えようとしているような、そんな感じをうけました。

どう言おうと著者は非凡すぎるぐらい非凡なひとなので、私のような平凡な者が分析するのはおこがましいですが、自分の表現を大事にするあまり、他人にどう見られるかを忘れてしまいがちな著者の悪い癖が出たな、という気もしました。無理に文学じみた表現をしたり理屈をこねるのはやめて、レッテルを気にせずに書いたほうが魅力があると思います。