人の世は無常。寂聴さん曰く、源氏物語とは出家物語。
★★★★★
源氏物語とはどんなものかと思い全十巻読んでみました。寂聴さんの現代語訳がとても読みやすく、各巻末には源氏のしおりとして寂聴さんのくわしい解説が載っています。数多くの歌の全てにも訳が付きます。男性が歴史小説で好むような戦(いくさ)や真剣勝負、政治や経済などの話はありません。ほとんどが男女の恋愛模様と人々の雅流風月と芸術を愛でる内容になっています。全十巻のうち、第一巻は光源氏があちこちの女性に夜這いをしている話ばかりで、「こんなもの十巻も読んでられるか!」(笑)と思いましたが、第一巻の最後あたりに光源氏が落ちぶれて島流し同然となってから、話がどんどん面白くなっていき、物語にぐいぐいと引き込まれていきます。源氏物語は光源氏の孫たちの時代(薫の君と匂宮)まで続きます。光源氏の無二の親友で恋敵であった頭の中将とは、その孫同士も時代になっても浅からぬ因縁があります。この時代は、後の江戸時代などど較べて人々は平和でのどかないい時代です。とても自然を愛していました。源氏物語すべてを通して底流にあるものは、人の世は流れては去っていく水の流れのごとく無常ということです。人と人との因果は前世からの縁であると考えています。人の世の無常を悟った源氏物語の中の男女は、みな出家を望みます。最後に寂聴さん曰く、源氏物語とは「出家物語」であると締めていました。文庫本の装丁がとても綺麗です。
現代語訳を読むならこれ!
★★★★★
と言っていいくらいだと思います。
こういった現代語訳について、原文と違って文が流麗でないとか作者の恣意による加除があるといった難点を挙げる向きもあります。が、私はそうは思いません。
なんと言っても、原文は、それこそ千年前の言葉、えらい学者が大昔から研究を重ねているものであり、大長編を楽しむには相当きついものがあります。いくら良く古文を知っていてもやはり何らかの形で現代語訳も触れておきたいものです。
また、原文は、「語り」の時代の言わば「書き物」であり、現代の人が読むような「小説」ではないのです。また、さらに「原文」は、特定の人を思い描けるような状態で書かれたとも目され、それが分からないとあまり面白くないのではとも思います。原文だけを読んでも、なにかあらすじを読んでいるような、散漫な印象を受けるのはこれが原因かとも思います。今、万人が楽しんで読むなら「小説」として形の整っているものが良いと思います。少しくらいの加除は必要です。
とは言っても、品のある文、出来るだけ正確なものとなるといろいろあって迷うもの。いろいろ試した(出費もかさみました)、私から言うと。
谷崎は、文は流麗だけれど、主語が無く、ある意味、原文と同じくらいきつい。
与謝野は、定番とは言うものの、大正前、戦時下に原案があった点もあり、「陛下」とか言う言葉が今ではあまり使われない場面で出てきたりして正直がっくりでした。
円地は作りこみが過ぎるので有名。
おせいさんも同じ、大幅な順序の入れ違えがあったりして、やりすぎではとも思います。
玉上訳もいいのですが、30年前の研究で、一文一文も長く、ちょっときつい点があります。
で、この瀬戸内さんのものですが、文もきれいで、読みやすい適度な長さにされています。この大長編、読みやすいというのは本当に大事な点です。
訳も私が知る限りでは、正確と言い切っていいのではと思います。「性愛描写」云々との意見もありますが、巻末の注釈にあるだけであり、本文にはそのような表現は無く、原文どおりです。そこはかな美しさ、争い合う人間の醜さ力強さも原文のままと言う感じで、余程読み込んでいる人ならではの訳と思います。
相関図、難しい言葉の注釈もあり、それも意外に(失礼)結構最新の研究だったりもします。
千年紀と盛り上がっているなか、一度お手に取ってみては、と思います。
一巻は・・二巻から。
★★★★☆
1月、NHKのテレビ番組で源氏物語が紹介されて興味を持ち、購入しました。紫式部が執筆を始めたのが、一千八年。今からちょうど千年前なんですね。
7巻まで読んで、ようやく一段落したようなので、また、1巻を読んでいます。が、改めて読んでみると、一巻はちょっと印象が違う感じがします。これは、瀬戸内寂聴さんの翻訳のためなのか、原書がこんな感じなのかはわかりませんが、ちょぉっと、読みづらさはあるかもしれません。
ですが、改めて一巻から読んだことで、ようやく源氏物語がわかったなって気がします。というかようやく理解できた部分もあります。(それに、いきなりいるキャラクターもいて、最初だからあんまり気にせず読んでいたからってのもありますし)。
源氏物語初心者ですが、最後まで、だれることなく楽しめました。
現代の感性にも通じていく古典名作
★★★★☆
はるか昔に描かれたベストセラー
今も昔も運命的な出生と身分をもち、文武にたけたそしてどこか翳りのある二枚目の男性がヒーローでないわけがない。
でもこれがとても面白いのだ。
もちろん現代から見ると女性の社会的地位や役割は簡単に共感はできかねるほど異質だ。だからこそ、空蝉の苦悩や夕顔のはかなさが映えるし、許されない関係がスリリングなストーリーをよぶ。
そのラブハントな主軸と並んで、今回とても発見だったのは、自然や死に対する感性がきわだっていることだ。
先立たれることを嘆き悲しみ、その悲しみは何日も何日も続く。
49日にはそろそろ仏になっていってしまうのだから、元気にならねばと思う。
いっそ自分も死んでしまいたいが、どうせすべてのものは死んでしまうのだからここはひとつ強く生きていかなければならないと思う。
こんなストレートな表現だからこそ、がつんと伝わってくる。
9月から秋になり、庭の葉が赤くなる風情を見て、亡き人を思い出し泣く。
こういった感情の起伏と情緒的吐露は、最近の作品にはあまり見られないものだ。
そういった意味でも興味深い作品だった。
でもやっぱエッチだなー。源氏って。
すこーし気になることがありまして・・・
★★★☆☆
本文は読みやすいです。
ただ本当に現代向きな文体で円地、玉上氏に較べると
奥行きが若干無いような気はします。
気になるところは訳者のあとがきが
あまりにも男と女のセクシャルな部分に言及していて
当方少々赤面してしまうところ。
それも当たり前な日常生活にも無理矢理男女の性愛を絡めるものですから
オイオイと突っ込みを入れたくなります。
普通の女の朝寝坊で「前の晩おたのしみでしたね」てな感じの解説は
止めてほしかったです。
ちなみにこれ、第六巻の解説です。
あと光源氏が出家に躊躇したのも女との○○○に執着しての解釈は
失笑ものであります。
(あれだけの権力者なら身辺整理するのに一年は優にかかるでしょう)
角川の玉上さんの現代語訳付の源氏物語全巻の方が正直いってお勧め。
あくまでもこの瀬戸内訳源氏は瀬戸内さんの作品と
割り切った方がいいと個人的に思います。