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ジャスミン (文春文庫)

価格: ¥900
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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辻原登を未読だったことを恥じる傑作。 ★★★★★
 心に残る言葉がたくさん収められている。

「世界で起きていることをすべて何らかの陰謀だとみなす人々がいる。この世のすべてはつながって、蜘蛛の巣状をなしていて、どんなつまらぬものにも秘密の意味がある。あのとき、道ばたに落ちていたしわくちゃのチラシをもし拾っていたなら……、なぜならあのチラシには世界の中心の秘密を解き明かす文字が記されていたかもしれないのだ。
 それに反対して、すべての出来事を偶然の産物として、あるがままに受け入れようとする人々がいる。
 彬彦は政治的には懐疑主義者だから、そのどちらにも与しない。陰謀は存在する。ただし、そう考える人にとってのみ存在する、というのが彼の見解だった。」(P263-)
 そんなクールでクレバーな主人公を“運命と宿命”が翻弄する──それでもなお決して自らを失わず、大切な人をも守りきってみせる──疾風怒濤のドラマ。面白すぎる。

「たとえば、古代ギリシアの哲学者のアナクサゴラスは、政治に無関心なことをなじられ、『なぜ君は祖国を気にかけないのだ』と問いつめられて、『言葉を慎みたまえ、私は祖国を非常に気にかけているのだ』といって、天空を指したのだそうです」(P399)
 そんなコスモポリタンを志向する小国ニッポンのビジネスマンが、大国チュウゴクの国家権力と渡り合う。カッコいい!

 物語のクライマックス、主人公とヒロインは阪神淡路大震災に遭遇する。
「(ラジオ)死者は千人を超えたもようです」
 李杏が泣き出した。
「どうして? どうしてかぞえるの? 死者はかぞえることはできないわ!(中国語)」(P428)
 このヒューマニティだけが、人類を支えていくのだ。
今ひとつ ★☆☆☆☆
残念ながら、私には合わない作品でした。
使われている単語が不自然に誇張されたものを使っていたり、言い回しもわざとらしさが少し鼻につくところが気になりました。
父親探しのメインテーマに李杏とのラブロマンスをからめていたのですが、なぜ二人が恋に落ちたのか、ストーリーの展開の中で腑に落ちず、ここをもう少し丁寧に段階を追って描写を積み上げていかないと読者がついていけないな、と思いつつ読みました。ジャスミン (文春文庫)
色々な設定が消化不良を起こしている作品 ★★★☆☆
短編集の「枯葉の中の青い炎」を結構気に入ったので、長編でいい評価のついている本書も読んでみた。

日本人男性の脇彬彦と中国人女性の李杏の恋愛がメインテーマだが、スパイ容疑で中国で逮捕され死亡したと思われていた彬彦の父親探しや、彬彦の妹とみつるの不倫愛などの興味深そうなサブプロットも序盤では散りばめられており、各々がどのような展開を辿るか期待していたが、メインテーマ以外は尻すぼみで終ったのが残念。メインテーマの李杏との恋の行方も観念的すぎる部分があり、今一歩感情移入することができなかった。
忘了(ワンラ)! ★★★★★
 私はとんちんかんな男である。とんちんかんなことを書こう。
 私の印象に残ったのは以下の三点である。
 一点目は、主人公が魯迅の住居跡を二度訪れたことである。
 二点目は、丁寧に荷扱いをする若いドライバーが登場している点である。
 三点目は、忘了(ワンラ)という台詞である。
 ところで魯迅の随筆「藤野先生」によれば、魯迅は日本に留学していたおり、藤野先生という人物から、講義ノートの添削を受けていたことがわかる。その講義ノートの半分程度は、引越の際、引越業者の過失により散逸してしまったという。辻原氏はあるいは、魯迅の講義ノートが、そっくりそのまま残されていたならば! という思いを、荷扱いの丁寧な青年に託したのではないか、などと考えてしまった。中国と日本。その友好的な結びつきの先駆は、魯迅と藤野先生との間に生まれた師弟愛だった。中国と日本。その対立は、日中戦争、日露戦争、もっと、あるのだろうが、不勉強の私は、少なくとも今の私は知らない。しかし、作中の「忘了(ワンラ)」、忘れてしまった、という言葉には、これまで日中間に起きた歴史的な確執を、お互いに忘れてしまおう、それはできない相談かもしれない、しかし、忘れてしまって、新たな関係を、友好的な関係を築くべきではないか、という辻原氏の祈りが、願いが込められてはいまいか。などと読むのは、やはり私がとんちんかんなせいである。私は、過去の自分をさえ、忘れることのできない、卑小な男である。まったく、柄にもないことを書いてしまった。これは、いけなかった。ああ、私もまた、「忘了」とただ一言、そう言える強さを持ちたいものだ。
魔都から瓦礫の神戸を舞台とする秀作 ★★★★☆
『ジャスミン』。辻原登が「文学の最先端で物語る」ことの出来る作家であることを遺憾なく証明した力作である。小説はヌーヴォー・ロマンを経て、ジョイスが行き着いた文学的限界を全く超え出ることはできないこと、小説が死んだことを露呈させた。ヌーヴォー・ロマンの作家たちのとかく思わせぶりな、実験的手法は物語への弔鐘というよりも、つまらないジョイス、三流のプルーストを生み出したに過ぎない。
なにもリーダブルであることだけが「物語」の復権を担うのではないが、辻原登は、その「語り」を通して小説という物語を復権したのだ。あとは登場人物を主体として解体しつつ、面白い物語を紡いで欲しい。それが出来る数少ない現代作家である。一点、主人公が、李杏に裏切られる結末を期待したのは小生だけであろうか。エンディングで父親と再会出来たのだから、全部ハッピィというのは・・・・・・。このあたりは通俗的と思われるが。
それはともかく、魔都・上海から瓦礫の神戸を舞台に、日中秘史の絡む構成も面白い。「東洋のマタハリ」なんて、誰かもう書いてるのかな?李香蘭も登場する。