多作の果てに
★★☆☆☆
佐野眞一は、多作の果てに、三流週刊誌のような野卑な文章を書くようになってしまった。それとも本人はインタビューだけで、代作か。
権門勢家の栄枯盛衰
★★★☆☆
佐野眞一の著作でなければ,鳩山夫妻の写真を帯にしたこの本を手に取らなかったかもしれません.権門勢家の栄枯盛衰の悲・喜劇を描いた内輪話,スキャンダル,錬金術を扱っており,下世話な覗き興味的内容が想像できるからです.しかし,タイトルこそ「鳩山家」ですが,鳩山家に限った特殊論というより成り上がりの名門名家が「家」を維持する過程で構造的に内包している問題点を読み解くことができるかもしれません.その意味で実業の堤家,松下家,豊田家などが抱える物語にも興味が湧きます.鳩山家も所詮は田舎大名の江戸詰家老出身の家系であり,正統派の華族でもなければ,学問芸術の分野で名家となった家柄でもありません.学歴,閨閥,政治権力を糧に時代を切り抜けてきた新興貴族に過ぎません.本書の内容は露悪的と評されていますが,どの家系でも明治や大正の頃まで4代遡れば,醜聞のひとつやふたつ発掘できるでしょう.
随分とアカラサマな表現で容赦なく現役の人物をこき下ろしていますが,この程度の批判に曝されて逆ギレするような一家ではなさそうです.鳩山家の内実はどうであれ,政治家鳩山が堅実に為政者としての役割を全うしてくれれば問題はないのです.しかし,現状はこの評伝が予言するように,高邁で一貫性のある政治理想,執政者としてのリーダーシップ,先見の明を鳩山兄弟に期待するのは無理のように思えます.鳩山首相を見ていると室町末期の足利将軍のような風情,線の細さ,脆弱さが滲み出ています.Noblesse obligeを期待はしませんが,せめて君子たるを自任するのなら,辞めるべきときは潔く振舞って欲しいと願います.政権交代と謳いあげても,吉田茂の孫から鳩山一郎の孫に引き継がれた歴史の予定調和の皮肉,日本の政治風土の貧困を感じます.勝手な興味ですが,こうなると政治家一家の貴種として,なんとしても鳩山家の第5代目にも政治の表舞台にご登場願わねばと思います.
同じ佐野眞一の著作でも正力松太郎の評伝『巨怪伝』(上下)を読了したときほどの充足感は感じませんでした.良くも悪しくも時代と格闘して生き抜いた一代の雄正力松太郎に人間的な魅力を感じます.本書の中に『巨怪伝』でも取り上げられ,保守合同の裏舞台で利用された伊藤斗福のその後が後日譚として描かれている点は貴重でした.
鳩山、その語られない裏面。世襲の危険性
★★★★☆
鳩山家のその出発点である和夫から続く、鳩山家の歴史及びその思考回路をすこし視点を変えてその像を浮かび上がらせる本書は、鳩山家の本当の姿を描ききっています。
まず、本書の構成として、弟の鳩山邦夫との対談から鳩山由紀夫の実像と鳩山家の実像を浮かびあがらさせます。
そして、和夫から始まる鳩山家の栄光と虚像、そして、鳩山家の支柱である妻たち春子、薫、安子の物語と艶福家たる夫たち。
そして、幸夫人にはじまる鳩山家崩壊の序曲と、なかなかおもしろい。
鳩山家をみると日本の政界の幅の狭さがわかるし、世襲の危険性がわかります。
佐野眞一作品が持つ魅力を感じることはできない
★★☆☆☆
わたしは、評伝作品においてその人物をどう描くか、言い換えればその人物をどう捉えるかは、書き手である作家の特権と考えている。そして、評伝の魅力は、著者がその人物をどう捉えたのかということと同等、あるいはそれ以上に、そこに至るプロセスにあると考えている。プロセスとは文献との格闘や取材過程のことである。
わたしが佐野眞一の評伝作品に魅力と説得力を感じている理由は、このプロセスが圧倒的だからだ。
評伝に限らず彼のノンフィクション作品は、対象とする人物や事件に対する客観的な目線を感じることができない(思い込みが激しいという言い方もできる)という批判があったりする。
事件・事故を題材としたノンフィクション作品に関しては、この批判は的を射ていると思う。その最たる作品が「東電OL殺人事件」だ。冷静さのかけらもないこの作品は読むに耐えない。
しかし、評伝作品の魅力を前述のように考えている自分のような読者にとって、プロセスが圧倒的で思い込みと決めつけが激しい佐野眞一の評伝は非常に魅力的だ。
著者がこの作品を評伝と位置づけているかどうかはわからない。単に「こんな人物に日本を託していいのか」ということを主張したかっただけなのかもしれない。
しかし、私は読了後、この作品は評伝的な要素を持った作品だと感じた。だから、鳩山一族の特異性を表面的になぞり、プロセスを省略したかのようなこの一冊に、佐野眞一作品が持つ魅力をまったく感じることができなかった。
そして、雑誌に発表した内容を“急いで追加取材を行い加筆して”出版する必然性があるのかという疑問が残った。佐野作品の魅力は“リアルタイム”とは違うところにあるのではないか。時期的なこともあり販売戦略上出版が急がれたのかもしれないが、もっと煮詰めてから彼が得意とする重厚長大な一冊として出版すべきだったように思う。
著者らしく、いつものように露悪的だが、一応、読ませてくれます
★★★☆☆
日本のケネディ家に喩えられる鳩山家の成り立ちから、いわゆる「地盤、看板、鞄」を盤石のものとする過程を著者らしく、いつものように露悪的に書きたてた本。由起夫と邦夫の鳩山兄弟の曾祖父である鳩山和夫は安政三年(1856年)美作にあった勝山藩の江戸留守居役の四男として虎ノ門の江戸藩邸で生まれ、その家柄は藩中屈指だったといいます。やがて大学南校に進み、成績優秀によりアメリカへ留学。東大法学部の講師を経て、日本初の弁護士事務所を開設したというんですから、途中でのゴタゴタは多少あるものの、目もくらむような経歴。
和夫は妻に見栄えは悪いもののウルトラ教育ママの春子を迎え、生まれた子供が後に首相となる一郎と、東大で「我妻、岸」と並んで三羽烏と呼ばれた秀才の秀夫というんですからたいしたもん。由起夫と邦夫の兄弟もそうですが(高校は兄が都立小石川、弟が教育大付属駒場)、どうも鳩山家は弟の方が頭は良いという賢兄愚弟ならぬ、ハイレベルながら賢弟愚兄の傾向があるようです。それと共通しているのが艶福家であること。一郎の長男で東大をトップで卒業して大蔵事務次官、外務大臣と進んだ威一郎も芸者の愛人との間に子どもも設けていますし(p.128)、一郎の弟で早死した秀夫には、もっとすごい話も(ここには書かれていませんが)聞えてきます。でも、まあ、こうした話は、当時の社会常識からすれば、全然、許せる範囲だとは思いますがね。
それよりも、ぼくが知らなかっただけでしょうが、改めてビックリしたのが由起夫と邦夫の母親である安子さんの実家であるブリヂストンの話。創業者である石橋正二郎が財をなしたのは地下足袋だったんですね。それが地元・九州の炭鉱夫に売れ、やがては絶縁性や静音性によって陸軍にも採用されていった、と。世界一のタイヤメーカーとなったブリヂストンの興りは地下足袋の底に使われていたゴムだったんですねぇ。