小さき憶い出への、平凡で壮大な旅行記
★★★★★
表現者・北の発言連載 自伝的評論集
ここで何か書くことがあろうか。知識人の視点から庶民の
生活の針小棒大な物事への解釈は氏の真骨頂である。
庶民なら誰しも心に残る記憶というものを持っているが、
氏はいつでもそれに、自分をこえたキホーテ的、超越的な何ものか
の存在をサンチョ的な明確な論理を携えて語ることができる。その
文体は超越と歴史的という二つの風車に互いに煽られながら
危うい綱渡りの道を、軽快に慎重に進んで行くような離れ業
を見せている。散文的な退屈さを残しつつ、健全な言葉で綴る
物語の落ち着いた信仰性を失わないでいるのは、氏が庶民の
平凡な非凡の驚異を何よりも大事にしている証拠であり、その
小さき説への思いやり、気遣いこそが、当代の稀なブレない
大説家となりえた理由でもあろう。
読後感は、大袈裟に聞こえるだろうが、私の首もとまで浸かっていた
大衆性の汚水をキレいさっぱり洗い落とし、またぞろぞろと庶民の
活力が湧き上がってくるといったものであったというのは本当の
ことだ。本の装丁、題名も素晴らしい。
健全な退屈さと自分の人生に与える物語性、それを忘れた方はぜひ!