近衛首相の長男がソ連に抑留され獄死していた、という事実を広く知らしめた点と文隆という少々魅力的な人物の存在をクローズアップしたことが最大の功績であろう、
著者の筆致はとても文隆に「好意的」です、好意的な解釈を省き時代背景と文隆を取り巻く状況を考慮したときに見えてくるのは、近衛文隆という人物の「呑気さ」です、彼の持って生まれたような呑気さを現在の我々は「脇が甘い」と普通は言い表します、わがまま放題の二世タレントがよくスキャンダルを起こすあれです、従って恵まれた家庭のぼんぼんを通した昭和前期の物語と読んだ方がいいでしょう、文隆も父親に似て調子の良さと浅はかさが同居していることに驚き、いまだに近衛文麿の歴史的な評価が定まらないことも思い出される物語です、
著者は1940生まれ、いわゆる団塊の世代の一つ上の世代である、左翼に対する姿勢が実に曖昧、単発のエッセイでは、シベリア抑留は拉致であり犯罪である、と明解に発言しているが本作における描写では悪いの戦争、もしくは戦争を始めた日本が悪い、といった平和ボケ読者の志向と合致してしまうおそれが大きく、抑留は針小棒大に語られる南京虐殺などとは次元が違うまさにソ連(共産党政権の国家)による犯罪である、とはっきりと描写すべきであったろう、
著者は基本的に短編作家であり、本作のような長編は向かないと考える、単に時系列上に起きる事柄を物語風に並べているページが多いことに全ての読者が気付くだろう、
これも作家能力の限界なのだろうが、情景の描写力は相変わらず進歩していない、よって娯楽性が損なわれていることも否めない、もし娯楽性を優先するならばもっと原稿を刈り込んで短い作品にしたほうが絶対に良かった、編集者にも責任の一端はある、