しかし、主人公たちに、明治末年から大正初期にかけて旧制高校生活、第一次大戦下での欧州留学生活を送らせ、関東大震災をはさみ旧制高校の新制移行をもって終わるという時代設塊の取り方は実に見事だった(本作品の成立に大きな影響を与えたと推察される作品には、北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫)がある。本作品の教授-生徒間の関係はここから大いにヒントを得たのではないだろうか。また、関東大震災にまつわるエピソードはやはり北杜夫の『楡家の人びと』(新潮文庫)を強く思い起こさせる。脱線しますが『楡家』も、三島由紀夫から「これこそ小説である」と激賞された名作です。大正から終戦までの一家の没落を描いていて、『摩利と新吾』からは若干時代がずれますが、昭和初期の時代の雰囲気がよく伝わってきます)。
さて、『摩利と新吾』に戻りますと、友情と恋愛は成立するか、というテーマに正面切って取り組みすぎていて、少しまじめすぎるかなあという感じはしません(特に篝が登場するあたりから)。"どじさま"も若かったんだなあ。また、何か共通の関心を媒介しない友情(例えば松本大洋『ピンポン』とか、ちばてつや『あしたのジョー』などを参照ください)は描きにくいのかなと思いました。主人公と個性ある脇役たちとのやり取り(誰にも打ち明けられなかった辛い過去を新吾にだけは語れる麿)、あるいは脇役同士のエピソード(お互いの恋愛の苦しみを思いやり時には喧嘩もする星男と織笛など)の間に、より"友情"を感じました(本シリーズでは、主人公二人が、二人の間に立ちふさがった恋を余り意識せずにいられた頃の作品が私は好きでした。「夕日にぎんなん五目飯」が自分としては一番気に入っています。単行本で読んだので、すみません、これが文章ではどの巻に収録されているのか分かりません)。ともあれ、今後、本作品を意識せずに旧制高校ものを描くのは難しくなったのではないでしょうか。ちょうど山岸涼子(正確にはニスイのリョウコさんなのですが)の『日出処の天子』(白泉社文庫)により、今後聖徳太子を漫画の素材として取り上げることが作家にとって大きな挑戦になってしまったように(それでも池田理代子が果敢に挑戦してますね)。字数が尽きました。木原敏江の「移ろいゆく時への思い」については『風恋記 前編』の三木内麻耶さんの解説をお読みください。本書に収録の「ユンター・ムアリー」ほか3作は、肩の力が抜けた佳作です。