革命も憎悪も若さも焦燥感さえも、40年ほど前は、穏やかな時間の中で流れていた。
★★★★★
書かれたのはおそらく1973年(昭和48年)、単行本としての出版は翌年である。中上健次は27歳であった。
汗と精液の匂いのする4畳半の新聞配達員の寮に、10歳以上年上の男と相部屋で住む19歳の予備校生。
自分ではどうしようもない今の境遇、日ごとたまってゆく憎悪を物理のノートの地図に×印で書き込み、
無言電話や、いたずら電話、列車爆破予告電話で紛らしていくしかない。
しかし2020年になったいま読み返してみると、なんと牧歌的で穏やかなことか。
便所が一つしかなく3畳間が27部屋並ぶアパートはみんな新聞を取っていた。
シケもくも吸ったが、ハイライトは80円だった。
貧困は在ったがびんぼうなのはみんなだった。
毛沢東が革命家の資質だと言ったとおり、全員が、若くて、貧しくて、無名だったから革命でもも起こせば世の中は変えられると思っていた。
実際にそのまね事を起こしたヤツもいたが、大概がサラリーマンになって満足した。
大学に行くという道を放擲しても何とかなった。
中上健次の書いた19歳はいまの19歳とは決定的に何かが違うのである。
それが何かは僕には表現する能力がないが、だから、この本は読んでみる価値があるのである。
読みにくい。身勝手。
★★☆☆☆
内容はともかく、とても読みにくい。
わざとこんな書き方をしているのだろうか。それともこのように一気に書き上げないとならないような何かがあったのだろうか?
何かもう正体不明のマグマのような物が、吹き上がる寸前にぐぐっと集中しているような文章だ。
そもそもこの本を読もうと思ったのが、前に読んだ「無差別殺人の精神分析」で池袋で通り魔事件を起こした犯人の愛読書とか書いてあったからなのだが、こんな本読んでりゃああんな事件も起こすわなぁ…と納得できるくらい、何か世間から相手にされず、しかし自分はこんな所で落ちぶれているような奴じゃないのだが…というひねくれた自我の吐き溜のような本だ。
この本が蟹工船の書かれた時代ではなく、1973年頃の作品と聞いて驚いた。
世の中、こんな考えや行動をする様なばか者ばかりなら、社会というものが成り立たず、とんでもない世の中になる。しかし「それが若さだ」とかいうこれまたばか者がこびへつらう事により支持を得ようとする構図も目に浮かぶ。
この本は4つの短編集だが、他にもいろいろあるこの人の本は、すべてこんな感じなのだろうか? いい加減にして欲しい。
シンボリックな19歳という年
★★★★★
19歳という年は、男にとっては象徴的な年である。
19歳になるまでの己の中に、人生を通して悩み迷い、歓喜し涙するすべてのものが
凝縮されて詰め込まれている。
そしてその「芽」が吹きだし、人生の大きな方向が決定されるのが、19歳なのだ。
中上健次逝きて、この8月で早15年。
この「19歳の地図」の中には、46歳で没する中上の変わらぬ
テーマであった、「バイオレンス」と「救済」の原型が見事に描かれている。
中上健次の原点を知るためには必読の書。
これは凶器なのか?狂気なのか?
★★★★★
30歳の時、何気なくこの本を手にした。多感な?高校時代、この本に接しなかったことに私は安堵した。仮にこの本に触れていたら、新聞配達員と自分の境界線を見失い、将来に絶望していたと思う。新聞配達員の彼は「浪人生」でもなく「社会人」でもない。当時は今と違い「フリーター」「ニート」などという言葉はなかった。絶望と挫折、孤独と屈折。目に見えない焦燥感。私はある朝、満員の通勤電車でこの本を読んでいた。たまたま隣に立っていた男性もこの本を読んでいた。勇気あるその男性は、本にカバーをかけていなかった。「オレは中上の世界を知っている」という表情の彼は、電車内で明らかに違和感があり、殺気立っていた。社会の底辺で生きる新聞配達員の彼の流した「涙」の意味は、男でなければわからない。
中上の原点かと思ったが…
★★★★★
短編四作。その中でも、やはり表題ともなっている「十九歳の地図」は面白い作品だと思った。別のレビューの方が述べておられる通り、自分も中上の原点かと思っておりましたが、よくよく考えると、実はその全く逆ではないかと思うようになりました。
それで、結局どういうことなのかというと、この本を読むだけで、枯木灘などの三部作を読む必要がないのではないかと考えます。中上健次は書く分量がだんだん増えていっているが、明らかに無駄な部分が多いようにも感じられてきました。(中上より凄い中長編作家を日本人では知りませんが…)
そういう理由で、この本はお勧めです。中上の全てが凝縮されている素晴らしい本だと思います。