素晴しい
★★★★★
今までの邪馬台国論争はもうひとつしっくり来ませんでしたが 本書を読んで腹にストーンと落ちる気がしました 古代史探求で資料をあいまいな中国の史書や十分な発掘ができない考古学だけに頼っていては想像や推理が中心で説得力に欠けます 残存する資料を駆使して論じてほしいと思います 本書では学会ではタブーとされていますが国内資料で唯一残された記紀を含めて議論を展開しています 記紀の中には明確に中国史書と相容れない記述もありますが 本書の著者主張については将来考古学でも実証される日が来ること期待しています
レベルが低すぎる
★★☆☆☆
歴史書の老舗である吉川弘文館さんが、業績確保のためやむにやまれずこのような低レベルな本を発行したのでしょうか。あるいはまた、邪馬台国九州論者のレベルはこの程度だと見せしめのために出したのでしょうか。一例として、この本では、大和朝廷が367年から369年の間に邪馬台国そして倭国を最終的に滅ぼしたと結論づけ、隋書や旧唐書に出て来る倭国を早々と抹殺しています。
むしろ、ひとつの思考実験として
★★★☆☆
吉川弘文館といえば、歴史学術書の老舗である。その吉川弘文館が、タイトルといい(特に副題)、装丁といい、随分と一般読者(わたしもその一人)を意識した本を出すようになったという驚きがまずあった。学者層だけでなく、一般読者層に対象をひろげてゆくこと自体は、むしろ歓迎すべきこと。
しかしながら、読んでみると、タイトルや装丁から来るダイナミックなイメージとはちょっと違う印象だ。著者は「はじめに」や「あとがき」以外では、本書を学術書として書いているようだ。しかしその方法論は徹頭徹尾、『古事記』『日本書紀』を信頼するというものである。
(そうなると、初代神武あたりの実年代はどうなるのか、『古事記』『日本書紀』に邪馬台国の名がみえないことをどう解釈するのかなど、本書で言及してほしかった)
著者の立場は、今日の歴史学ではきわめて少数派と見受ける。『古事記』『日本書紀』が重要な史料であることは言を俟たないが、そこに見られる記述の妥当性をつねに批判的に吟味しつつ用いるというのが今日の常道といっていいだろう。だが、戦後史学の史料批判の精神は本書ではむしろ積極的に排される。
そうした立場もありうるだろうが、読者は以上のことを念頭に置いて読む必要があるだろう。著者の論にはついてゆけないところが少なくなかったが、細かいところでは新たな気づきもあるにはあった。
わたしは、一つの思考実験として本書を読んだのである。
【追記】「あとがき」を見ると、副題を含めてタイトルはどうも出版社主導で決められたようだ。著者の本意ではなかった様子がうかがえ、その点は同情する。