タイトルに偽りアリ?
★★★☆☆
そこそこです!
まずタイトルの『戦闘美少女の精神分析』ですが、これで内容を想像するとおそらく裏切られます。
実際の内容は「戦闘美少女を好むオタクの精神分析」とでもいうべきもので、
ヘンリーダーガーとの比較、戦闘美少女の系譜、ラカン派精神分析などの観点から戦闘美少女とは何か分析しています。
ラカンというと難しい感じですが、出てくる用語や論は比較的軽く、
精神分析を詳しく知らない読者でも読めるよう配慮があるところは評価できます。
しかし、戦闘美少女などのアニメ絵の特徴(大きな目小さな口など)は動画で動かす際、
動きが少なくても見映を良くするために進化した結果であるという結論は、
間違ってるとは言いませんがラカンまで持ち出した割にはありきたりなのは否めません。
個人的には少し脱線した箇所の東西の漫画における時間感覚の相違などが楽しめました。
脳みそと時間の無駄遣い
★☆☆☆☆
ラカンをかじったことのある美少女アニメオタク向けの娯楽本なのですが、そのようなオタクって数いるんですか?
インパクトはある本なのですがおそらく氏の黒歴史なんじゃないのか。ハードカバー読みながらそんなこと思ってたんですが、文庫版を出すくらいだから自信ありありなんでしょう。
いくら娯楽といえども、読んでも何にもなりません。
ただ、あなたがオタクで余分な知識がほしいと思っているならチャレンジしてみては。
知的な気になれる
★★☆☆☆
前半はオタク論、中盤は90年代のアニメを中心としたアニメ分析(というよりはアニメ史、アニメ紹介に近いが)。最終章で本論の戦闘美少女分析を行う。
用語を定義の曖昧なまま濫用しているのは問題だ。例えばアニメは「欲望の原理」に支えられているという。で欲望の原理とはなにか、「セックス&バイオレンスの原理」だそうだ。しかし原理と言うからには何か理論や法則があるはずだが、その説明はない。「アニメは欲望に支えられている」と言えば十分ではないか。
時間性、運動性、事実性。それぞれ時間、運動、事実のような性質を持つものと普通は解釈できるが、「事実のような性質」とはいったい何だ?事実とは異なるのか?用語の定義が曖昧なら用いられ方も抽象的で、文脈によって意味が少しずつ異なるのだ。
カッコつきの単語は全て、一般的に我々が用いる意味とは異なる意味で使われているが、ひどいときにはページあたり10以上もそのような「用語」が出てくる。
他の分野の科学であれば、例えば「現生哺乳類の多様性は恐竜絶滅後に空白となったニッチへの適応放散が重要な役割を果たした」などの説明は、小学校で習う単語だけでも完全に説明可能だ(回りくどくなるが)が、本書はまず不可能だろう。ためしに終章の一ページをカッコつき単語を全て別の言葉で説明しできるか試してみて欲しい。
分析全体の筋はまっとうだが無難で目新しくはない。悪いポストモダンの典型「用語は借り物中身は無し」を地で行っている。
精神科医による卓越したニッポンマンガ構造論
★★★★☆
なぜ日本のマンガ・アニメはかくも美少女に戦闘をさせるのか?
「風の谷のナウシカ」、「美少女戦士セーラームーン」から「新世紀エヴァンゲリオン」
にいたるまで、日本のサブカルチャーは成熟した大人の女性にではなく華奢で可憐な美少
女に、ドレスやワンピースではなく戦闘服やロボット、魔法の杖などの「戦」をつかさど
るグッズを持たせ戦わせてきた。この日本のサブカルチャー空間の独自性にメスを入れた
のが本書。
本書ではまず、おたくという定義を明示し、現実逃避という彼らに対するステレオタイプ
ないイメージの否定から始まる。彼らが逃避ではなく虚構という「もう一つの現実」をマ
ンガ・アニメ空間に出現させているという論を立てる。そして、海外においては、この戦
闘美少女という概念それ自体として受容されていないし、消費システムとしても確立して
いないということから、日本のサブカルチャーの特異性=戦闘美少女という問題が浮上し
てくる。ここから日本のアニメ・マンガ空間の特異性の彼方に戦闘美少女の存在根拠が類
推され、筆者の専門分野、精神分析における用語「ファリックマザー」ならぬ「ファリッ
クガール」と彼女らを定義し、論は進められていく。
終章まで、おたくの定義や海外事情や戦闘美少女の系譜などの寄り道があり、これらは本
の当初の目的からして押さえておいてしかるべきものなのだが、少々しんどい。しかし、
終章の「ファリックガールが生成する」は文句なく面白い。卓越した日本マンガ評論だと
思う。
「なぜ我々は戦闘美少女が好きなのだろうか?」という問い立てではなく、「戦闘美少女
を愛好するわれわれ日本人のマンガ・アニメ空間とは一体どのようなものなのか?」とい
う問いへの回答として読むべきだろう。間違いなくおたく文献の古典になりうるだろう作
品。ただ非おたくによるおたく定義は必ずしも正しいとはいえない部分もあり、そこは注
意して読み進めるべきだろう。
一種、現状肯定的な擬似宗教、擬似インテリ
★☆☆☆☆
まず社会の現状が「解明すべきもの」として無批判に問題の俎上に乗せられているのが非論理的。
つぎに、上記「問題」の解明の道具として精神分析が援用されるのだが、精神分析の応用が社会的に有効妥当であるか否かが十分な妥当根拠をもって論じられていない。
以上2つの欠点をもって、本書が愚昧な大衆を、自分の理論に引きつけて説得しているかに見せる書籍だということがわかる。
既成の理論を安易かつ無根拠に「応用している」だけの一種、現状肯定的な擬似宗教、擬似インテリにすぎない。なぜなら本書には反証可能性をもたない瞞着議論しかないからだ。