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マルクスの使いみち

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 太田出版
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経済学者は大学時代に何を学んだかがわかります。 ★★★★★
前書きによると、この本はマルクス経済学への特徴的な入門と、同時に現代経済学へ
のモダンな入門を目指した本ということです。
稲葉振一郎氏が松尾匡と吉原直毅の両氏に話を聞くというかたちで、マルクス経済学
の「解体と再生」の話、マルクス的「搾取と不平等」の話、ローマーを中心にした
「公正と正義」の話が語られます。

話の途中途中に、話し手の皆さんが学生時代からどういうスタンスで、どういう風に
勉強したかが、ざっくばらんに話されます。若い読者には特に刺激的だと思います。

話題の中心は、現代社会批判のキー概念としての、マルクス搾取概念の検討だと思
います。ここでは吉原氏の語るマルクス基本定理批判が面白いです。
生労働が剰余価値を生むというマルクス経済学の基本概念が俎上にのせられています。
吉原氏によれば、労働が剰余価値の唯ひとつの形成者だという従来からの理解は誤りで
あり、基本財であれば、バナナでも石油でも、あらゆる商品が剰余を生むのであり、
したがって労働は唯一の利潤の源泉ではなく、現代における労働搾取は従来とは別の
観点で位置付けられねばならない。
こうした論点が最も面白いと思われる本でです。

この「一般的商品搾取定理」ははじめアメリカのS.ボウルズとH.ギンティスによって
証明されたもので、吉原氏も彼らに依拠しているようですが、ボウルズたちの証明には、
論理的な誤りないし解釈の誤りがあるように思われます。
したがって、この定理に依拠して展開される吉原氏の厚生理論が、成り立つものなのか
が問題になるものと予想されます。
科学的に考えることの意義 ★★★★☆
新古典派経済学的な経済社会の捉え方を肯定し、その上で、マルクス主義的な経済社会の捉え方を批判的に検討する。その中で、ローマー等のアナリティカル・マルキシズムの方法を、現在の「主流派」経済学の中に、マルクス的(或いは左派的)な立場から、対抗軸を作り上げる可能性のあるものとして抽出する。本書は、そのような方法があることを知らしめること、その啓蒙のために著されたものとみることができよう。本書からの知見として重要な点は、科学的手法とは何か、或いは科学的に考えることとはいかなる意味を持つのか、というところにあると思われる。旧来のマルクス主義では、核心をつかむリアルなモデルをいつまでも求め続けるだけで、科学的手法に必要な抽象化・理想化がなされず、「気合いと根性」とか、過度なモラリズムとかに規範的基準が置かれることにもなる。こうした議論の仕方では、現在の「主流派」経済学に対抗して、説得力のある別流の方法を構築することはできない。マルクス的(左派的)な立場から対抗軸を構築するためには、このような一群の議論を放棄し、数理化された均衡論的モデルによって語ることが、(その「語り」に賛同するか否かはどうあれ)より意義のあることなのではないか。
ここから ★★★☆☆
この本のねらい、目的は「はじめに」で明解に述べられる
しかしこの本がそれを達成できているか、
その為にこの形式が最善だったかは疑問だ。
そして著者自身も疑念をもっていたのではないかと
充実した注が逆説的に物語っているようにもみえる
しかし読んで損する本ではないので一読をお薦めする
取りかかりとしては ★★★★★
取りかかりとして、手軽に取って読める本です。けど、本気でマルクス経済学を研究するのであれば、どうかと思いますけど。内容は「分析的マルクス主義」と置塩学派の対談みたいな形で進んでいきます。深く掘り下げるのあれば、本格的なテキストを読み込む必要もありますけど、取りかかりとしてはいいとは思います。最近、マルクス関係の書物が売れています。これもグローバリゼーションに対するアンチテーゼなのかも知れませんけど。
リベラリズムとどこが違うのか?! ★★★☆☆
 本書は、マルクス入門といっても、新古典派のツールを使って、マルクス経済学を読み直す、いわゆる分析的マルクス主義の入門書である。
 松井暁や高増明の『アナリティカル・マルキシズム』で興味をもったので、この本を読んでみた。しかし、どこがマルクス的なのか、ちっとも分からなかった。分析的マルクス主義は、しょせんマルクスの搾取命題や価値の生産価格への転型命題を、新古典派の数式モデルによって証明することが売りなのに、本書のように数式なしの入門書では、ただの道徳的規範理論になってしまう。結局、ロールズ以来のリベラリズム左派と全く同じ、資本主義の不公正や不平等を批判するだけの常識的な資本主義批判にしかならない。スタイルは新しいが、内容はおそろしく平凡な良識的民主主義論にすぎない気がした。
 コーエンの自己所有権論やローマーの合理的選択論、方法論的個人主義やアソシエーション主義といったリベラリズムからの借り物を徹底的に批判するのが、本当のマルクスの「使い道」なのではないのか?たとえば、青木孝平の『コミュニタリアニズム』などは、宇野弘蔵を規範論理的に読み込んで、コーエン、ローマー、エルスターから松尾匡までを徹底的に論駁して、この本と逆にマルクスを反リベラリズムの方に「使い道」を探っている。
 稲葉は、松尾に吉原のような同類を組み合わせるではなく、青木のようなアンチ分析的マルクス主義派をぶつければ、面白かったと思う。
 これからのマルクス廃物利用企画は、なれ合いではなく、ガチンコ対決を期待したい。