ルール
★★★★★
1 下部構造と上部構造があるといわれている。
2 後者につき、共同主観としての内容を探求して
いるように思える。
3 フロイト、宮沢賢治等との整合性を勉強してみたい。
共同幻想論は文学だと思う。
★★★★★
共同幻想という考え方は、社会の基盤をなすものかもしれない。
著者は、厳密な学として、本書を提案しているわけではない。
文学として読めばよいのではないでしょうか。
あるいは、文学評論という方が厳密かもしれない。
一世を風靡した考え方の古典的な文献だと思う。
文庫で読めるのはうれしい。
ps.
今の人には吉本バナナのお父さんといった方がいいかもしれない。
言葉の定義は自由です
★★☆☆☆
著者なりの言葉の定義をしてみたのでしょう。内容はあまり実証的ではありません。
他者の論は実証されていないと言いながら、自分の考えは実証せずに言い切っています。
時代に影響を与えた本ということで読んでみたのですが、期待はずれでした。流行ということの意味を見たように思いました。
説得力のある言葉の定義を考える材料としてはいいかもしれません。
一読の必要性ある名著ではあるが。
★★★★☆
この本について、一言で感想を述べるならば、まさに以下の通りになるだろう。
この本に於いて、文学は解体された。
筆者である吉本隆明が本書の中で行っているのが、哲学なのか或いはその他の何物であるのかはよくわからない。しかし、そんなことは問題ではないのだろう。
この本に於ける最も画期的で、同時に最も退廃的なことは、すべての神話や伝承、民話に「共同幻想」という思想(或いは意義)がその存在意義として設定されてしまったことだろう。
確かにこの本は秀逸だ。
社会学や民俗学、或いは哲学を志す者にとって、一読の価値があるだろう。
しかし、読後のこの虚しさはなんだろう。
著者は結果を急ぎすぎたのではあるまいか。
われわれは、まず彼のこの秀逸な著作を読むべきである。しかして後、読者である我々はこの内容に異議を付加していくべきではないだろうか。
吉本隆明の最高傑作?
★★★★☆
世評では、本書が最も評判が高く、本書を以って、フランクフルト学派や、サルトルに比したりしているプロの論者まで出る始末だ。だが、自分の評価で行くと、「言語にとって美とはなにか」が最高傑作で、長期に亘って読まれるだろうと思うが、本書については首をかしげる。相性が悪かったといえばそれまでだが、なんでもっと単刀直入な書き方をしなかったのかと残念に思う。尤も、これくらい優れた文筆家になると、文体と思想は一体になっているところがあって、この文体無しで、「対幻想」を論じて見せることは出来たか、と言われると、返答に詰まってしまう。「対幻想」から、そして、「共同幻想」への転換は、実に見事で、注意深く読者が自己の体験と照らしていけば、その意味するところが、意識の中に再現される。つまり論旨がわかる、というよりもっと強烈なもので、自己が疑似体験してしまうのだ。とすると、多くの論者が「最高傑作」と言いたくなるのも良くわかる。だが、自己幻想、対幻想、共同幻想、という構えは、ヘーゲルの意識の構図をどこかで連想させる(内容は著者の独創だが)し、デュルケムの「集合表象」をも連想させる。その意味でどこか、「言語にとって〜」より独自性が減少しているかにも見える。「古事記」と「遠野物語」にテキストを絞ってみたりする方法論も、自分には評価できなかったし、エンゲルスの「家族・私有財産・国家」のような古くなった書物に妙な思い入れで付き合ったりするあたりも、不満が残る。だが、「存在と時間」を力技で、論点へと持ち込む辺りは思想家の面目躍如たるところだ。