自分のことを適当な言葉で教えてくれる老人はあまりいないから勉強になる。
★★★★★
今年86歳の吉本隆明さん。86歳でも頭脳は明晰。老いてかくありたいと思った。
だいたい老いた方はあまり自己表現をされなかったりする。言葉を発せられなかったりする。でもそこは吉本さん。86歳でも言葉が迸っている。
老人は、吉本さんによれば「超人間」。意志と行動が反射的に直結しているのが動物。意志と行動との間に思考が入って少しずれるのが人間。そして老人は、頭の中に奔流の如き意志がある、言葉があるのだが、それが行動に出るまでに時間がもっと掛かる。意志と行動との間の時間が動物と人間とを区別するなら、もっと時間が掛かる老人はなるほど「超人間」だ。
この感性、すごいと思った。
「老いの超え方」を読んで、50代を超える。
★★★★★
ほぼ同じ歳の両親を見ていたところなので、「これは!」と思い、読んでみた。海での遭難、病気を経ても吉本隆明は健在でした。実は、若いころは吉本さんの文を読んでも、ほとんど意味がわからなかった。これは、インタビューという形式も、進行もよかったのだと思う。答えが一つ一つ腑に落ちる。なるほど、こう考えれば両親の老いも、自分の老いもわかるという気持ちになったり、枯れたユーモアにニヤリとしたり・・・。わたしも、生きてるうちに、あの吉本隆明の言っていることを理解したという安心感と喜びを持つことができる1冊です。
吉本にとって老いは第二の戦後。かつて自らの老いをこれほど曝け出した文学者は居たか?
★★★★★
まず、冒頭のカラー口絵頁でビックリ。自分の使っているおしめを恥ずかしげもなく写真に撮らせている。
そして、カバー裏表にある数枚の吉本さんの近影。中でも、表左下、猫背蟹股で杖を突きながら街を歩く吉本さんの姿は、衝撃的ですらある。そう、たんなるヨボヨボのおじいちゃん。これがあの、「戦後最大の思想家」と言われた人のなれのはてか(失礼)と思うと、目頭が熱くなってしまった。
思想は老いないが、肉体は老いる。それは避けようも無い事だ。近年吉本さんが、毛沢東を引き合いに出し「自然にはかないません」と口にするたびに、いまいちピンとこなかったが、本書を読むと、五臓六腑に沁みて来る。
吉本さんにとって、まさしく自らの「老い」は第二の戦後と位置づけられよう。そこから、かれは全く新しいパースペクティブでもって、新たな知を紡ぎだしている。それが、総体的な感想だ。
少なくとも、今世紀に入って乱造された吉本さんの著書の中では、トップクラスに感銘を与えるものだと断言できる。
なお、「老い」とは直接関係ないが、本文中の「一問一答」で、ヘーゲルを巨大な「近代」としているのに対し、フーコーを巨大な「現代」と対比させている点。また、サルトルを「間違った」マルクス主義者としているのに対し、花田清輝を「惜しい」マルクス主義者、さらには、埴谷雄高のことを「誤った文筆家」としているのは、非常に興味深かった。
読者が考えるほど,彼は花田清輝を嫌いではなかったのかもしれない。安部公房も最後まで彼を尊敬していたし、私なんぞにはチンプンカンプンな人だが、改めて花田清輝の研究をしてみるべきかな、とふと思ったりもした...
付け加えると、かつて吉本さんは、岩波/朝日のサヨク文化をことのほか嫌っておられた。しかし、その彼が今では、朝日新聞社から文庫を出す世の中になりました。
吉本にとって老いは第二の戦後。かつて自らの老いをこれほど曝け出した文学者は居たか?
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まず、冒頭のカラー口絵頁でビックリ。自分の使っているおしめを恥ずかしげもなく写真に撮らせている。
そして、カバー裏表にある数枚の吉本さんの近影。中でも、表左下、猫背蟹股で杖を突きながら街を歩く吉本さんの姿は、衝撃的ですらある。そう、たんなるヨボヨボのおじいちゃん。これがあの、「戦後最大の思想家」と言われた人のなれのはてか(失礼)と思うと、目頭が熱くなってしまった。
思想は老いないが、肉体は老いる。それは避けようも無い事だ。近年吉本さんが、毛沢東を引き合いに出し「自然にはかないません」と口にするたびに、いまいちピンとこなかったが、本書を読むと、五臓六腑に沁みて来る。
吉本さんにとって、まさしく自らの「老い」は第二の戦後と位置づけられよう。そこから、かれは全く新しいパースペクティブでもって、新たな知を紡ぎだしている。それが、総体的な感想だ。
少なくとも、今世紀に入って乱造された吉本さんの著書の中では、トップクラスに感銘を与えるものだと断言できる。
なお、「老い」とは直接関係ないが、本文中の「一問一答」で、ヘーゲルを巨大な「近代」としているのに対し、フーコーを巨大な「現代」と対比させている点。また、サルトルを「間違った」マルクス主義者としているのに対し、花田清輝を「惜しい」マルクス主義者、さらには、埴谷雄高のことを「誤った文筆家」としているのは、非常に興味深かった。
読者が考えるほど,彼は花田清輝を嫌いではなかったのかもしれない。安部公房も最後まで彼を尊敬していたし、私なんぞにはチンプンカンプンな人だが、改めて花田清輝の研究をしてみるべきかな、とふと思ったりもした...