月刊現代後継ノンフィクションメディア創刊
【 『g2』創刊記念特別ページ公開中 】
沢木耕太郎、柳美里、石井光太ほか、多彩な書き手が本格ノンフィクション作品を寄稿。雑誌・単行本・ネットの三位一体のノンフィクション媒体を目指す。
雑誌、単行本、ネットが三位一体となったノンフィクション新機軸メディアを目指した注目の雑誌 『g2 (ジーツー)』の創刊を記念した特別ページを今すぐチェック。
我々が知り得ることができなかった事実、メディアでは発表されなかった、事件・事象の真実の姿を読むことができるエキサイティングなノンフィクション雑誌。
特に注目したいのが、どの記事も読み物として優れている点だ。ノンフィクション記事にありがちな、事実だけを伝える無味乾燥なテキストとは大きく異なり、読者をぐいぐいと引き込む、読み応え十分の文章は、まさに「ノンフィクション新機軸」と言える。
【目次】
池田大作と私 / 矢野絢也(元公明党委員長)
政教一致は憲法違反。しかし著者は公明党、創価学会は池田氏による一神教だと断言する。
沖縄密約事件 / 諸永祐司(週刊朝日記者) 国家の秘密を暴いた記者は逮捕された。国家に翻弄された夫と妻の物語。
永井秀樹独白録 / 会津泰成(ライター)
ヴェルディ川崎に所属し、ポルシェを乗り回し、女優と付き合う日々、その後に待ち構えていた試練。
講談社ノンフィクション賞選考会 初めて公開される賞決定の舞台裏を特集。
ドキュメント「幼児虐待」 / 柳美里(作家)
著者自身も体験した幼児虐待。今はそれを実行する側に。著者の内にある「凍った闇」に迫る。
感染宣告 / 石井光太(ノンフィクション作家)
治療法の確立で死の病ではなくなったエイズ。HIV感染者の性生活を浮き彫りにした衝撃ルポルタージュ。
リッダ!奥平剛士の「愛と革命」 / 高山文彦(作家)
24人を無差別殺害した空港襲撃テロの実行犯のその後を追う。
神様と一緒に/耳を澄ます / 沢木耕太郎(作家)
英国に実在した殺人犯にインタビューを行ったノンフィクション。そこには、インタビューの極意があった。
興味がある分野の作品があれば面白い、私は【感染宣告】を読んだ
★★★★☆
「月刊現代」の後継誌として創刊された「g2」に掲載されている石井光太氏の「感染宣告 日本人エイズ患者と性愛の連鎖」は、HIV感染を宣告された人が、「宣告後の人生をどう生きているか?」に焦点を当てたルポである。
HIV感染は、他の病とは異なる特長を持っていると思う。
1つは、性行為(セックス)により感染するものであり、また、感染者は、「他人に感染させてしまうかもしれない」というリスクを念頭に生活しなければならないこと。
そして、もう1つは、治療を継続すれば「すぐ死ぬ病」ではないにも関わらず、感染が死につながるイメージが強く残っていることだ。「汚れた血で死ぬ」と誤解される病だろう。
HIV感染を知った後、家族、配偶者、恋人などとの関係をどう築いていくことができるのか?。
石井氏は、感染を宣告された人や、その周囲にいる人々に、感染の経緯や感染が判明したときのこと、そして、その後の生活について尋ねている。
人と人が触れ合うこと、抱きしめあうこと、愛し合うこと。
これらは、人と人が関係をつくり、それを維持していくうえで重要な要素になる。HIV感染は、これらの行為を妨げる。だからこそ、感染は、それぞれの人生に重くのしかかる。
感染者の孤独は深い。
それは並大抵のことでは拭い去れず、一生抱えていくものかもしれない。
一方で、HIV感染者は、「誰かを愛する」「生きる」ということについて、他の人よりも
真剣に悩み、考えなければならない人々でもある。
感染を宣告された後の、感染者の人生の一端を示すことは、HIV感染に対する無知や、そこから生まれる偏見を解消する取り組みといえるだろう。
骨太な題材が多いが、興味を示す対象層が限定されている気がする。
★★★★☆
相次ぐ総合雑誌廃刊の折、休刊した「月刊現代」から新たな形で甦った本誌。そのコンセプト、戦略、三位一体の媒体新機軸と、不況が続く出版界でちょっとした話題になっている雑誌だ。
編集者たちは、いずれも週刊誌や書籍での本業を抱えながら、活字(PAPER)媒体でのノンフィクションの未来を信じる。雑誌媒体で連載されるノンフィクションを読む層は決して少なくないと思える者からすると、どんな形であれ、まず興味を抱く“題材”に向き合う事の取っ掛かりとして、この雑誌の存在価値に期待するし、そのスタンスには好感を持てる。
その創刊号、早速読んでみたが、重量感あるテーマ、執筆者が並ぶ。そのラインナップが凄い。「黒い手帖」事件で、創価学会と係争中の矢野元公明党委員長が池田大作の人となりを語り、元ヴェルディ永井秀樹の、かってのスター選手としての華やかさから一転、挫折、苦悩を経ての現在の胸中が語られ、更に、山崎豊子の「運命の人」のモデルであり、昨今の外務省の核密約ともリンクしそうな、外務省機密漏洩事件の当事者西山太吉の妻の37年ぶりの告白、お馴染み柳美里による極私的児童虐待体験談(この表現は不穏当だろうが、相変わらず壮絶かつ痛切な内容)、そして、テルアビブ・ロッド空港乱射事件(又はリッダ闘争)を起こした日本赤軍コマンド3人、とりわけリーダー格であった奥平剛士のパレスチナの地に殉じた一生に、沢木耕太郎のノンフィクション・ライターとしてのインタビューの心積り等々。
骨太で硬派な読み物が多く、ヴォリューム感も十分。装丁、紙質も高級感があり、既存の読み捨てに近い月刊誌との違いを際立たせている。ただ、“今”との繋がりは感じるものの、被写体、事件自身は一昔前のモノが多く、興味を示す対象の年齢層が偏るような印象を受けるが。
ともあれ、ノンフィクションと言うジャンルが持つ底知れぬ面白さと感動、新しい書き手=才能との出逢いの、そして若い新しい世代の読者の掘り起こし(それが、強いてはこのジャンルの活性化につながる)の、その発信地となるべく頑張って欲しい。
池田大作氏のことなど
★★★★★
立ち読みしながら、矢野絢也さんによる『池田大作と私』の次の文章にひかれて購入をきめました。
”ともすれば、これまで池田氏については、批判的か妄信的かという両極端な視点からしか書かれて来なかったように思う。正確な歴史の記述のためにも、一九五五年に初めて会って以来、約五○年にわたって私が見てきた池田氏の「生(なま)」の人物像を記そう。”
30年近く公明党の中枢にいたかたの真摯な言葉です。また、創価学会から執拗な嫌がらせを受けた著述のあとで、こうも語っています。
”しかし、自分をこのような目に遭わせたのが間違いなく池田氏の意思、命令だと確信していても、彼を心底から恨む気になれない。恨みよりも「あの人らしいな」という気持ちが先に立ってしまうのが本当のところだ”
つづきを読めば、池田大作氏の、清濁併せのむという言葉の範囲にすらおさまらない、実像が浮かび上がってきます。”巨人”という言葉をあてはめても、まだ足りない気がします。また、”恨む気にならない”という言葉からは矢野さんの決意、自分の愛してきた、池田氏と公明党と創価学会への真の決別宣言ととることもできるのではないでしょうか。
矢野さんの文章は淀みなく、簡にして要を得ています。たんたんとした語り口から、リアリティーが作られるのです。
ただ、洗脳が解けたとかマインドコントロールという言葉をご自身にあてはめて使われているのですが、宗教という枠にとらわれず、誰しもが自らのつくったフレームでしかものをみることができません。矢野さんの場合、洗脳というより、あまりに近すぎて見えないものや当たり前すぎて表現がむずかしいことなどが、あるように感じました。
いつか、神でも悪魔でもない人間、池田大作伝がでるとしたら、矢野さんへのインタビューは、必須となるでしょう。
最後にこのMOOKについてですが、月刊現代の後続誌として「もう一度ノンフィクション雑誌をつくろう」と発刊されたとのこと。その心意気や由。
やはり、見たことのないものを見てみたいというやじうま根性と、それの情報を合理性で処理したいという人間の意識があるかぎり、文字によるノンフィクションは続いていくと思います。
ちなみに、巻末の沢木耕太郎さんによる翻訳ノンフィクションも、上上です。
VOL.1とあります。長く続いて欲しい雑誌ができました。