低地マヤの諸王国に限っているのは、どうも北部ユカタンや南部高地の諸都市では歴史碑文があまりないか、解読されていないためのようです。有名なチェチェン=イツアの歴史さえ、現在でもよくわからないらしいのには驚きました。
ティカル、テオティワカン、コパンといった各遺跡の最近の発掘調査や碑文研究の成果を集大成しています。ティカルやコパンの王朝の起源、ティカルが、378年にテオティワカンの将軍に制圧され、テオティワカンの王子が新王になったこと、宿敵同志のカラクムルとティカルの戦争、いわゆる都市を表す「紋章文字」が同じティカルとドスピラスは、ティカル内部のリネージの争いで成立し、お互いの正統性を主張して、宿敵カラクムルまで巻き込んだこと、古典期終末期のマヤ崩壊の前兆ともなったペテシュバトゥン地方で起った内戦とドスピラス遺跡の徹底的な破壊などの最近の研究成果がまとめて読めます。
サイモンマーチンは、ロンドン大学芸術アカデミーを出た人。マヤ文明に後から興味を持ち始めた。名誉研究員であるが、欧米の学会では下手な教授より敬意を払われている。副著者のニコライ・グルーベ博士には3日間だけマヤ文字を教わった。もう忘れているだろうが、彼のドイツ語なまりの英語や、つれてきたドイツ人学生たちのマヤ文字の知識にびっくりしたことを覚えている。
3‐10世紀初頭の、いわゆる古典期と呼ばれるマヤ古代文明の王たちが記録した碑文解読の成果を紹介する。他の時代のマヤ文明の解説はおまけ程度の代物。さらにマヤ文字の解読法を教えるものでもない。
マヤ文字の解読はおおよその意味が取れるというのが実情で、事実ブリガム・ヤング大学のハウストン教授は現在でもドレスデン絵文書の数ページはまったく読めないということを私に教えてくださった。
いくつかは違った視点を詳しく紹介した方がよいと思われもするが、この本は彼らの見解を示すものであり問題ではない。いくつかの点は、私の『マヤ文明』(太陽書房:直販式)の中で論じてある。この本には5をつける。彼らは自分たちの独創によってこれを書いたのである。他人のあら捜しをして自分を権威付ける本ではないから理由である。
今回初めてマヤ王たちのフルネームが日本の読者に紹介された。私の本も(原稿終了段階まで、この翻訳作業のことは知らず、原著を見ていた)この本に習うべきかと考えたが、過去の出版物を読むとき随分混乱したことから、今まで使われてきたあだ名を原則として用い、サイモンらの提唱する名は併記する形で採用してある。どちらがよかったのか。