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弓と竪琴 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥497
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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滋養 ★★★★★
 詩論が中心だけど、実に充実した文学論、文明論でもあり、哲学的でもあります。浩瀚な知識と的確な文章表現で形作られ、読む者にとって素晴らしい滋養ある本であります。書いてある内容が広すぎてなかなかまとめきれないのだけど、以下に特に意味深だと感じられた部分を記します。ちょっと難しい部分も、そのおかげで得られる滋養を思えば大したことありません。

 86p「語句あるいは<詩想>がリズムに先行するわけでもなければ、その逆でもない。双方とも同じものなのである。」

 159p「そこ、存在の:あるいは存在することの、と言った方がよいかもしれない:深奥では、石と羽毛、軽いものと重いもの、生きることと死ぬこと、実在することが、ひとつにして同じものなのである。」

 224p「「そこにいる」という、つまり、われわれは絶えず、有限で無防備のまま未知のものに向かって投げ出されているという根源的事実は、われわれがその懐に戻るべき、全能の意志によって創られたという事実に変わるのである。」

 284p「人間の弁別的本質は、ことばを持つ実体である点に存するというよりはむしろ、このような<他者>になる可能性を持っているところに存するのだ。」

 352p「近代における革命をそれ以前の革命と区別しているのは(中略)人間を社会の基盤として聖化することの不可能性なのである。」

 391p「自動記述は、事物と人間と言語の完全な一致の状態に到達せんとするひとつの方法である。もし、その状態が達成されたならば、言語と事物の間の距離、そして言語と人間の間の距離は消滅するであろう。しかし、この距離こそ言語を生み出すものであって、この距離が消滅すれば、言語は消散してしまう。」

 426p「否定の否定は不条理を取り消し、偶然を解消してしまう。」

 今は古本でないと入手できないようだけど、是非、特に文学を志向する人には読み切ってほしい本です。
詩とは何か、詩人とは、そして人間とは ★★★★★
メキシコ出身の詩人、オクタビオ・パスが1956年に発表した詩論書。ここで書かれているカスタマーレヴューを読んで興味が沸き、近所の古本屋で偶然見つけて読んだが、今までに出会ったことのない強烈な求心力がこの文庫にはこめられていて、読み終わるまでにそう時間はかからなかった。巻末に訳者による「オクタビオ・パスについて」という小文と、松浦寿輝氏による「大いなる一元論」と題された解説が載っている。
本書の構成は「序論」「詩」「詩的啓示」「詩と歴史」「エピローグ」「補遺」とする各セクションに分けられ、「序論」においては以後展開される「詩」とは何を指すか、詩を感じる・作り出す原理として「ポエジー」を挙げ、「ポエジー」とは何か、詩とポエジーとはどのように作用するのかを仄めかす。「詩」のセクションでは、詩を構成する要素である言語、リズム、韻文・散文の弁別特徴、そしてイメージをそれぞれ、詩論でも名高いヤーコブソンの言語学のアイディアを時に引用しながら、まず第一に詩人であるパス独特の引用と言い回しによって解説していく。本書全体で引用されるのはノヴァーリスやマラルメなど西洋の詩人だけではなく、中南米の詩人たち、、日本の俳句、インドのバガヴァット・ギーターなど多岐に渉り、それら世界中の詩に一貫して見出されるポエジーを捕まえようと、パスは「詩的啓示」のセクションで詩と宗教に共通する効果を見出す。それは、人間の生の本質を思索し、聖なる何ものかを掴もうとする際に目の当たりにする「他者性」、そこに自らを投げ込む行為だ。詩的啓示、インスピレーション、それらは宗教上の啓示・インスピレーションと似て、また非なるものだ。なぜなら詩は、宗教と違い自らを正当化する立場を一切温存できないからだ、とパスは議論を続け、「詩と歴史」のセクションでは、文芸上の隣接するジャンルである叙事詩、演劇、小説との類似点と相違点を示す。「エピローグ」では、宗教が受け持っていた人間の存在意義のヴィジョン化がブルジョアの世界観と科学のイデオロギーによって無効化された今、詩こそがそれを為しえる、とパスは語る。

読み終えてみると、上のような粗筋には還元できないほどのパスのイメージ豊かな文章がいつまでも尾を引くように感じる。終始詩に就いて語り続けているこの文庫は、詩を語るためにさまざまな文化・芸術、各国の歴史や社会的制度、言語学や宗教に就いても論じた、決定的詩論書だ。ぜひ復刊すべき。
はやく再版するべきだ。 ★★★★★
この本がすでに絶版になっているとは知らなかった。
本の内容は★五つだが、版元の筑摩書房は★1つ。(内容説明はゴルディアスさんの説明に譲ります)
岩波文庫の『ドビュッシー音楽論集』だって再版されているというのに。(これにもひとつ、懇切丁寧な説明をしてくれている人がいます)
こういう本は売れないから絶版にするという単純な市場原理で判断するような本ではないと思う。もっと高い定価にしなおしてもかまわない。書店の棚にこの本があり、何年かかってでも誰かの手に渡る。その人はこの本を開いて至福の時を経験する。
そういう気の長い時間こそがその国の文化だと思うのだが。。。。
生きる希望が湧いてくる哲学書としても有効 ★★★★★
難しい批評用語が多用され、ほとんど改行なしで400Pを越える大作なので、
読み始めた頃は地獄であったが、詩の話題がメインではなくなり、
小説・絵画・音楽・演劇・映画等、全ての文化芸術に論点が発展し始めてから、どえりゃあ面白くなります。
メキシコに生まれ、世界一の美術大国のスペイン文化圏で育ったが、
パスの知性と教養はスペインネタには留まらず、
西洋も東洋もラテンアメリカも総括する、素晴らしい知的な記述が頻出する、現代知識人にとって必携の書。
短く言えば、全ての多様性を含有する一元論が真理だということである。
生きる希望が湧いてくる哲学書としても有効である。
わたしはあなたであり、あなたはわたしであり、
全ては無であり、無は全てであり、
生は死であり、死は生なのである。
生きるべきか死ぬべきかと二元論で考えては悩みは解決しませんぜ。
私たちは生き続けているし、死につつあるのです(藁
ゴヤの話題も勿論出ます。
文化芸術を語った本で、世界一の画家のゴヤの話題が出ないものは、三流ケテーイですな。
一流の文化芸術を語りたい人には必須の本である。
「弓と竪琴」というタイトルの元ネタは、ヘラクレイトスである。
ヘラクレイトスもヘラクレスもヘトロドロスも区別付かない人には、
この本はとっつきにくいかもしれないが、本書は人類の叡智の結晶である。