大事件と名場面が続出
★★★★★
この第二巻はドラマが大きく展開され、評判にふさわしい面白さ、奥深さ、描写のうまさが度々見受けられる。
まずはアウステルリッツの戦い。ここで負傷したアンドレイは、倒れながらあの有名な感覚にとらわれる。
《……この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて。そうだ!すべて空虚だ、すべていつわりだ、この果てしない空以外は。……》
そして第二部に入ると、まずピエールの決闘がある。それから、アンドレイが帰宅すると同時に、妻が子供を産んで死亡。これはいかにもできすぎた偶然だが、そこは言葉のうまさでカバーされている。また、ピエールは妻と別れると人生に疑問を感じ、救いを求めてフリーメイソンに入会する。その疑問の一部を引用しよう。
《……金なんていうものが、髪の毛一筋ほどでも幸福や心の平安を、増やしてくれるみたいじゃないか?いったいこの世の何かが、この女やおれを、襲ってくる悪や死の手から少しでも守ってくれるとでもいうのか?……》
トルストイは晩年に私有財産を否定するが、ここで富への疑問が出ていることは興味深い。それから、襲ってくる死の恐怖は、トルストイ自身の問題として、『懺悔』において克明に描かれている。
この後、ピエールとアンドレイは再会し、二人の長い会話が記される。その中で面白いのは、ピエールが行った農奴解放運動へのアンドレイの反論である。トルストイは、自身が行った農民への教育などの経験からこれを書いたのだと推測できる。そうなると、トルストイは冷徹な鋭い観察眼を持っていたと思われるのだ。
トルストイとフリー・メイソン
★★★★★
この、新潮文庫の『戦争と平和』第2巻は、1806年の初めに、ニコライ・ロストフが休暇で家に帰る場面から始まる。そして、ピエールとドーロホフの決闘、アンドレイ公爵が妻と死別する悲劇と、劇的な展開に突入する。『戦争と平和』全篇の中でも劇的な部分であるが、この第2巻で興味深いのは、ピエールが、フリー・メイソンの支部(ロッジ)を訪れる箇所である。(本書135〜167ページ)物語の中で、ピエールとドーロホフの決闘が、ピエールとフリー・メイソンの出会ひに先立ち、そして、その後、この決闘がもみ消される(167ページ)と言ふこの物語の展開は、興味深い物である。そして、フリー・メイソンの導師が、ピエールに、フリー・メイソンの思想である「死への愛」について語る場面は、極めて重要な箇所である。−−私は、この「死への愛」と言ふ思想は、『戦争と平和』のみならず、トルストイの死生観を理解する上で、重要な鍵であると考える。例えば、トルストイ晩年の短編『イワン・イリイチの死』を思ひ起こして欲しい。あの小説の最後に描かれる主人公の死の場面には、この「死への愛」と言ふ思想が、影響を与えて居ないだろうか?−−トルストイにとって、フリー・メイソンとは何であったのか?現時点では、私には分からないが、これは、『戦争と平和』を読む上で、決定的にに重要な視点であろう。
フリー・メイソンは、トーマス・マンの『魔の山』などでも大きなテーマと成って居る。難しい課題であるが、日本人は、『戦争と平和』や『魔の山』を、そう言ふ視点からも読むべきではないだろうか。
(西岡昌紀・内科医/9・11テロから5年目の日に)
コラムはいいのですが・・・。
★★★☆☆
第2巻は、前半が第1部の最後となるアウステルリッツ戦で、後半の第2部はアウステルリッツ戦からうまく立ち直れないロシアの様子が描かれています。この巻での読みどころは472ページからのアンドレイとピエールの対話でしょう。
『戦争と平和』―哲学の迷宮へ
★★★★★
「死ねば―すべてが終わる。死ねば、すべてがわかる―あるいは問うのをやめてしまう。」
第二巻ではピエールが「お気楽お坊ちゃん」の段階から
哲学者的段階に移るなどのように個人と世界をめぐって哲学的考察が
行われます。
知らないことを知るのが人間の最高の叡智、
下層階級の人を延命させることは幸福なのか、
などなど現代に跳ね返ってくるテーマであります。
ナターシャの音楽シーン
★★★★★
トルストイの描写力のすごさが現れているのがナターシャの音楽のシーン。音楽を小説で表現するのは非常に難しいがトルストイは非常に軽々とリアルに描いている。本筋とは関係ないが、この場面を読むだけでも戦争と平和の面白さを体験できる。