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「治るうつ病」と「治らないうつ病」 (M.C.MUSE ARCHIVE 1)

価格: ¥693
カテゴリ: 新書
ブランド: (有)エム・シー・ミューズ
Amazon.co.jpで確認
タイトル倒れ ★☆☆☆☆
センセーショナルなタイトルの割に、中味は新鮮味がない。 アメリカの症状主体の診断基準を受け入れたことによるうつ病概念の拡大が、医療現場に混乱をもたらしたのはわかるが、それに対してどうすべきかまったくヴィジョンが示されておらず残念。心理療法についても啓蒙っぽい内容はあるものの、現状では経済的に、医者、患者双方とも負担が大きすぎるから拡がらないと言わんばかりの記述がめだつ。最後まで読んでも、タイトルのテーマが回収されたとは思えず、むしろ途中からは紹介エッセイになってしまっている。特に患者にとってはあまり読む価値がない一冊。
DSM-III批判? ★★★★☆
近年「うつ病」が爆発的に増えている。20年間に20倍というのは、臨床的「常識」からは考えられないスピードだそうだ。
理由は臨床的に「うつ病」の定義が拡大されたためだそうだ。現在の診断基準DSM-IIIは操作的診断基準で、いくつかの症状が基準を満たせば「うつ病」とする。それ以前は原因論的診断がなされており、内因性のうつ病のみをうつ病としていたそうだ。(著者は本来的うつ病としている)
本来的うつ病は薬物療法がよく効き、また、一定期間休養を取れば自然に寛解するそうだ。
問題は(現在の)薬物療法が効かず、寛解期にも入りにくい「うつ病」が増えていること。著者はこういう患者さんも救う方向で、精神療法の有用性を示唆しているが、医療保険上の制約などもあり、事実上難しいようだ。
生き方へのヒントブック ★★★★★
読み始める前、タイトルからてっきり最近話題の「新型うつ病」とか「ディスチミア親和型うつ病」といったキーワードを軸に語られる本なのかと誤解をしていた。タイトルにある「治らないうつ病」を含めて統計的には爆発的に増えている「うつ病」は他の精神疾患と高率に併存するとされる。従って、アルコール依存であろうと摂食障害であろうとパーソナリティ障害であろうとその他の精神疾患であろうと、その陰日向に「うつ病」が存在していることは多い。ということは精神科診療における治療がこの「治らないうつ病」との闘い?になることは必然的に増える。そしてその言葉通り、これら一群の人々は、なかなか「治らない」のである。抗うつ薬がほとんど効かない人々の存在・・・もちろん薬物療法を否定するつもりはない。むしろ適切な薬物療法が必須であるケースは多い。しかし、それだけでは「治らないうつ病」は言葉通り、治らない。ではどう対処するのか?そのことが本書では語られている。筆者は「死を見据えた生を考えること」がうつ病の臨床に役立つと信じている。筆者の想いを想像すると、「治らないうつ」も「治るうつ」もその人自身の生き方・生き様の表れであるとすれば、その人の生き方に寄り添い、その人の自己実現を支援することが治癒につながるのだということではないだろうか。この考えに私は共感する。この本を読むと筆者が日常臨床の中で「自分自身との命を懸けた戦い」をしている患者に「命を懸けて」寄り添っている姿が目に浮かぶ。このような治療者に巡り合えたら幸運であろうと思う。誤解してほしくないのは、筆者は決して哲学に偏った治療を推奨しているのではない。WHOは医療において、Biological,Psychological,Socialなケアを超えたSpiritualなケアを提唱している。筆者の目指す治療はまさにWHOの推奨するSpiritualなケアであり、実は全ての治療者が目指すべき治療なのである。Spiritualな癒しを行えば、必然的に単なるうつ病の治療を超えた、生き方・生き様への癒しが生まれてくる。本書は、とても分かりやすく「うつ病」を語りながら、単なる「うつ病ガイドブック」を超え、生き方へのヒントブックとなっている。是非、読んでいただきたい一冊である。
「うつ病」との関わり方 ★★★★★
うつ病という病気が良くも悪くも以前より抵抗なく人々に受け入れられるようになり、その病名が表す状態はざまざまで中身が十分に検討されることなく長々と治療が続けられているケースが少なくないのではないかと思います。
「うつ病」と言って思考停止に陥っている多くのケースに対して、著者のような視点に立って患者と医者や心理士などの治療者がともに真摯な態度で向き合うことができれば、患者の回復や問題解決の糸口を見つけていくことができるかもしれないと希望が持てたように思います。
うつ病患者に関わる多くの人と共有したいと思う内容でした。
症状の理解を超えて ★★★★★
この本はうつ病の患者、精神科医、そして読者個人を読者として想定しているだろうが、そのいずれもが避けていることがらへ著者自らが悩みながら連れ戻す。
今の医療ではたいていうつ病患者は病気になる/病気が治るという問題を、症状が無くなるかどうかという問題として考える。また精神科医は薬が効いたかどうか、その人に適しているかどうか、薬が脳の中でどう働いているか、という問題として考える。
いずれにしてもうつ病患者「その人」にとって、うつ病になった原因は何なのか、またうつ病が「治る」とは何なのか、という極めて個人的な問いを考えることは避けられている。そんなことを考えなくても症状が消えればそれで満足だから。考えるのはしんどいから。考え方が分からないから。そしてそれらを考えることは、いまや精神科医の仕事と目されてもいず、認知療法というテクニカルな部分でしか患者「その人」の問題は扱われない。
こうした思考の回避は、読者個人も行っていることに気づかされる。生きるとは何か、病気になるとは何か、健康とは何か、そして死ぬとは何か。考えなくても生きていけるが、考えなければその人の生は空虚なものかも知れない。
著者は患者の、また自身の個人的な問いに日常の臨床の中で考え続け、本の中でも考え続けている。答えはもちろん無い、というか読者が個人的にしか答え得ないものだが、読者は著者のそうした姿勢に励まされて、自分の生についてちょっと考えてみようという勇気を与えられる。それは精神分析を受けたときの体験に似ているかも知れず、それが読後の不思議な満足感を生んでいるように思われる。