需要過多の日本の悲劇が述べられている。
★★★★★
小学校英語、総合学習から始まって
現在の日本の教育需要について
対談を通して詳しく述べられた一冊。
キーワードは「ポジティブリスト」。
つまり、日本に求められる過剰な期待のおかげで
相対的に最低限果たすべきことに力が割けなくなる、
そういった実態が、この本でリアルに述べられている。
この書の最大のメッセージはまさにそこで、
いち学者といちジャーナリストの対談とは思えない
リアルさが窺える。
思えば、教育予算や授業時間は削減されているのに
教育に求められていることはどんどん増えている。
そしてできなければどんどん責任追及が始まる。
冷静に考えれば非常に酷な話であろう。
この本は教育の理想ばかりを語った結末を指摘する
極めて現実味のある論が展開されている。
教育改革を考える上で、是非とも読んで欲しい本の1つ。
教育ママとやらは読まない方が
★★★★☆
のっけから子どもに塾やら習い事やらを数多くやらせる親の話題。
学習塾のバイトを始めてから再び読み返してみたら
笑えてしまうほどのあるある感。欲ばりですね、ええ。
話題が多すぎてすこし知識を前提として持っていないと
読者が迷走をしてしまう虞がある。
あと新書なんだから文献リストがほしい。この本に限らず。
日本の公教育はどうしようもなく悪いものだと思っている人に
読んでもらいたいと思います。もちろん私自身も日本の教育制度に
いいたいことはいくらでもあります。
しかし日本のシステムにも一長一短があり、「長」の部分を見直すように
この本はリードしている感があります。
国際的な学力低下という説をあまりにナイーブに信じてしまうのは危険です。
それでインターナショナルスクールや一流私立などに通わせようと
するのは盲目的です。それぞれの一長一短を踏まえること。
完璧な教育システムは(まだ)存在しない。本書はそれを訴えているのかもしれません。
この本は「証拠に基づいて」書かれているのか?
★★☆☆☆
あとがきによれば、この著者の一人は「『証拠に基づいた』政策決定を」と中央教育審議会のある部会で呼びかけたそうです。それなら、今本を書くにあたっても、「日本の教育が欲ばっている」のだということをまず最初に示して欲しい所ですが、該当する所は思い当たりません。授業内容が三割削減され、日本の子供たちの学習時間はPISA参加国の中でも少ないほうであるという事実(そして、その少ない学習時間で学校を卒業できるらしいこと)からすると、著者等の言う「欲ばり過ぎ」は感覚的なものに過ぎないのではないでしょうか?
外国語教育を小学校に導入する反対の理由の一つとして、既にポジティブリストは一杯なので、これ以上外国語を追加することはできないと言っている様に見えます。ポジティブリストが一杯というのなら、そのポジティブリストの内容を検討し、外国語教育よりも重要でないものは無いか、代用できるものは無いかなど、再評価することが必要になると思いますが、そういう提案は無く、単純に既にリストが一杯だから受け入れないといっているみたいです。
250ページの本書で、「欲ばり過ぎ」に関して述べているのは何パーセントあるのでしょうか?タイトルも、読者を惑わせますし、そもそもそれだけのページが必要と思えないのです。フィンランドの教育に関して記述するなら、せめて、フィンランドのポジティブリストは一杯なのかどうかくらいは説明してもらいたいものです。
海外帰国子女の日本語の実力や、インターナショナルスクールに通う日本人の子供の一つの例を紹介してくれている所には興味が持てました。
題名が内容をわかりにくくしているが
★★★★☆
フィンランドの教育は見習わなければならない。
決して大国とはいえない国だが、PISAで世界一を獲得、Nokiaのような世界的企業を有し、Windowsの最大の対抗馬ともいえるLinuxの大本を考えたのもフィンランド人。
低迷している日本にとってはお手本にすべき国であるようだ。
しかし、日本の教育はそんなにも悪いのか?
フィンランドのよい点は教育からもたらされたものなのか?
そもそも国情の異なるフィンランドの教育をどのように日本に導入するのか。
そういった視点もないフィンランド礼賛の風潮には疑問を感じる。
そんな疑問に真っ正面から答えてくれるのが本書である。
前半は日本の教育を主題に論じ、後半はフィンランドの教育を主題に論じている。
教育とはその社会の有り様を写している。
日本には日本にあった教育の在り方あるし、フィンランドにはフィンランドの教育の在り方がある。勿論、よいところは参考にすべきであるが、早くから進路の決断を迫り、大学進学コースでは過酷な勉学を高校時代から課されるフィンランド(ヨーロッパの全般的な傾向であるが)、将来の決定を早い時期に下すことなく、のびのびと青年時代を送ることのできる日本、青少年問題の大半を抱え込むことにより社会との摩擦を減らす日本、教育の範囲を狭く囲い込むことにより学習の問題に専念するフィンランドといった在り方は優劣をつけられるものではないし、それぞれが参考とすべきものでもないような気がする。
日本の教育、そして教育の背景となる日本の社会には本書の前半で述べられているように様々な問題や課題がある。
社会の不安を背景に、効果のありそうなものは何でも取り入れてみる。
誰もができるわけでない先進的な実践をすべての学校で義務化する。
教育さえうまくいけば、社会の問題は解決する。
教育は魔法の杖ではないので教育を完璧にしても社会の問題は解決しない。教育には限界があるし、教育という範囲の中でもいつでもうまくいっているわけでもない。
そろそろ計算通りの完璧さを教育に求めるのはやめた方がいいような気がする。
ただ、対談部分とそれぞれの著述部分を分けているのはいいが、著述部分が明朝体で書かれているのは正直読みにくい。対談と著述の対比をつけようとの試みであると思うが、やはりゴシックのほうが断然読みやすい。
本書を通じて日本の教育は、基本的には何も変える必要がない、ただし、教育にかかる予算と教員養成のための時間さえ増やしてくれればいいのではないかと感じた。
★★★★★
いま、教育再生会議において、ニッポンの教育制度の改革案が議論されている。土曜日の授業復活や徳育の充実などが議論されているようだ。
本書は、「総合学習」の導入について意見の異なる二人の議論から始まる。当初は総合学習を積極的に評価する増田氏と、総合学習の一斉導入には反対の苅谷氏とは議論がかみ合わないが、苅谷氏の主張の意味がだんだんと明確になっていく。
ようやく最後の苅谷氏の記述で、種明かしがされる。そこには、「自ら考える力が大切である」という割には、教育予算が削減され、高い能力を持った教員養成の時間も割かれず、制度としてのみ全国一律に改革がなされた結果が今の教育の現状である。
そういう中で現れつつあるのが、教育における「格差」の拡大である。
また、「学力が世界一」と言われるフィンランドの取材を通じて、日本の教育内容とは基本的に大差がないとしている。
本書を通じて日本の教育は、基本的には何も変える必要がない、ただし、教育にかかる予算と教員養成のための時間さえ増やしてくれればいいのではないかと感じた。