作品ごとにセンセーショナルを巻き起こすフランソワ・オゾン監督だが、本作では自身を主人公に投影しているとあって、それまでの作品とは違う切迫感や緊張感が充満している。カメラマンのロマンが、脳腫瘍が発見され、余命3か月と宣告される。ゲイである彼は、ボーイフレンドや家族に対し、できるだけ平穏を装って過ごすことを決めるが、偶然出会った女性に子どもを作ってほしいと頼まれ、当惑する。
メルヴィル・プポーが体重を減らしながらロマンを熱演するが、表情は極力抑えられ、つねに穏やか。その瞳の奥のまた奥に悲しみが潜み、観ているこちらは胸が痛くなる。オゾン映画らしいショッキングなラブシーンもあるが、根底には自分の子孫を残したいという人間の本能に迫るテーマが流れ、共感を誘うのだ。この点もオゾン映画では異例。子ども時代の記憶、ジャンヌ・モロー演じる祖母との対話など、要所に心を締めつけるシーンを盛り込んだ構成がうまい。荘厳なほどに美しいラストシーンからは、人生への賛歌も感じられ、余韻がいつまでも続く。(斉藤博昭)
“見直したい邦題文化”
★★★★★
「ぼくを葬る」はフランス映画で、
原題は、<LE TEMPS QUI RESTE>:直訳すると「残された時間」
英題は、<TIME TO LEAVE>:直訳すると「去りゆく時間」
である。
そして、秀逸な我らが邦題が「ぼくを葬る」―
この三国三様の題の違いが、そのままその国民性を表わしているような気がする。
差し詰め、フランス人は「死ぬまでの時間」にエスプリを感じ、アメリカ人は「生きていた時間」との決別をドライに計り、日本人はハラキリの落とし前精神でいて、且つ、禅の安らぎの観念でもあるような、もっと繊細で複合的なアイデンティティ…といったところだ。
葬るという動詞は、通常死んでゆく他者に向けて使われる言葉だが、自らを葬るとしたこの邦題のセンスには震えた。その言葉は、儚くも最も能動的な生を感じさせてくれる。
「ぼくを葬る」は主人公が余命三ヶ月を宣告されてから、どう生きるかという物語である。
ええ、そうです。まぁそんな映画は今までイヤという程作られてきたし、そういう映画は決まってお涙頂戴韓流メロドラマでありました。しかしながらこの映画は、主人公が色々と葛藤しつつも、ただひっそりと死んでゆこうとするアティテュードが清々しく、また温かくさえあった。
ネイティブアメリカンの有名な言葉をご存知だろうか。
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
映画はまさに、この言葉を彷彿とさせる美しく象徴的なラストシーンを迎える。
人間はやりたいことをして生きているのではない。
常に「やり残したこと」をして生きているのだ。
僕も身支度を整えて清々しく死にたいと思う。
死ぬまで生きて当たり前。
鬱々と死を願うものたちよ、
生きる前に死ぬな。
「今夜、あなたと死にたい…」
と、老いたジャンヌ・モローは曇りなき目で囁いたんだ―――
素晴らしい映画だった
★★★★★
ブランソワ・オゾン監督の映画を見ると、
なんとも言えない思いでいっぱいになる。
「まぼろし」にしろ、この作品にしろ、
生きるということを静寂と共に伝えてくる。
この映画の、素晴らしいラストシーンも、
たまらない気持ちになって見つめ続けた。
あの夕陽を見るまで、余命3ヶ月の主人公、
ロマンの想いに心動かされるばかりだった。
祖母とのやりとりも印象深く、自分の死を
受け入れる課程が、どれもこれも愛おしい。
儚さと美しさが胸に突き刺さるよう・・、
心をギュッと掴まれ、忘れられそうにない。
死は必ずしも愛を育まない?
★★★★☆
主人公は死を宣告されてから最後まで、恋人にも両親にも兄弟にもカムアウトしない。
それを語ったのは、死が近いということで「似ている」祖母と精子を与えた赤の他人の
夫婦だけなのだ。自己愛は自分の種が残ることで辛うじて灯るが、家族愛はとても脆い。
常に刺々しく当たっていた姉に対して、近くに来ながら電話で和解する場面が悲しい。
そこでカメラのシャッターを切るが、その写真が最後に姉に渡るなどとしないところが
オゾンである。写真家という職業が死後に意味を持たないだけに、より孤独感が際立つ。
この作品は「死について」がテーマであるが、自己と家族への「愛について」も語られる。
愛がテーマという点では、オゾンは「ふたりの5つの分かれ路」で男女の愛を描いていた。
両作品ともにラストシーンは、主人公の逆光のシルエットが印象的な夕暮れの海辺だった。
“死”をどう受けとめ、受け入れるか?
★★★★★
余命3ヵ月…。ロマンのように“死”を受け入れることが果たして出来るのだろうか?初めはすべてを遠ざけようとするロマンだが、少しづつ受け入れ“自分がいた”という証明を残す。ロマンは心の内を祖母にだけ打ち明け、涙する。自分勝手な言動が目立つロマンだが、とても親身になれる。きっとこれは、すごくリアルに近い表現をするからだろう。ラストシーンはオゾン監督らしい、美しいラスト!あと、あの写真がきになりますよ。しかし、二人とも…カラミのシーンが…見えてます!!
唇のうえに沈む夕日
★★★★★
死が、生きることの意味をあぶり出していくという普遍的なテーマに、真正面から挑んだ作品です。
主人公ロマンが苦悩と絶望の果てに、すべてを捨てすべてを受け入れて、執着から解き放たれいく様子が残酷なまでにみずみずしく描かれています。この映画での「死」とは彼の生きてきた「生」の収斂されたものであり、どちらも肯定や否定という判断を超えた、たった一人で受け入れるべきもの、というスタンスをとっています。この世界での人間関係と同じように、対立しているように見えた生と死が、和解し解け合って昇華していく様は、無条件に美しく圧倒的です。(自らの生を尊重し死を迎えるには、他者の生をも尊重しその違いを受け入れなければならない。この映画のテーマはあくまで、あらゆる葛藤のなかで「生きる」ことの素晴らしさであり、「死」はその演出家なのです。)
そしてそれは彼の人生に対してだけでなく、この世界にも人知れず輝きを与えている。ラストシーンの静かな衝撃は、悲しみとエンドロールを越えて、いつまでも続いていきます。