そもそもの問題は・・・
★★★★☆
余りにも有名なT・ウィリアムズの戯曲。監督エリア・カザン、主演V・リー、M・ブランドー、ほかカール・マルデン、キム・ハンター。名匠名優の誉れ高い作品。映画館でもテレビでも何回か見ております。みんな素晴らしいです。
しかし、自分が主婦になって家族や親戚のあれやこれやを考えるようになった今、この問題は起こるべくして起こった・・・と思います。スタンリーみたいな男もいるでしょう。ブランチみたいな生き方しか出来なかった女性もいるでしょう。最初から水と油、なのです。その二人が、あのようにそれぞれの部屋も持てないほど狭いアパートに同居することが、土台無理。いくらブランチに行くところが無くても、受け入れたステラに罪がある、と私は思います。自立してない人を助けることは、本当に難しい。まして、スタンリーのような夫を持ち、これから子供を育てなければならない一介の主婦は、自分のことで手一杯で、たとえ実の姉でも助けることは、不可能。人間、成人するまでにいかにタフな自立した精神を確立しているか、が本当に大切なこと、なのです・・・生きていくことは厳しいのです。
一見の価値はある
★★★☆☆
メソッド演技を活用した映画とのこと。メソッド演技を否定
するものではないが、ビビアン・リー演じるブランチの言動が
全て演技に見えてしまう。つまり、ナチュラルでない。
ブランチは心を病んでいるので、その辺りをビビアン・リーが
うまく演じているということかもしれない。
精神を病んだ人をテーマにした映像作品の多い今の時代からは
評価の難しい映画と感じた。
1951年にこんな演劇と映画があり、評価されてたのか、という
意味では一見の価値あり。
ブランチへの怒り
★★★★★
僕はブランチよりも
むしろブランドーのスタンリーに共感したタイプだ
このブランチは
自意識過剰で被害妄想の見栄っ張りでええ格好しいで
自らの体面をよく見せるために平気で嘘をつき
自分は世界一不幸だと思い込んでいる
そして自分が中年であることに物凄いコンプレックスを抱いていて
人前で自虐的に振る舞い「そんなことない」といわれる事に安心と優越感を覚える
だけれど実際はこの世で自分が一番美しいと信じて疑わない女なのである
人前では明るく八方美人に振舞うが
その人がいなくなるとすぐそいつの悪口を言いだすようなタイプです
最低のクソ女
見てて腹がたって仕方なかった
こう思えてしまうのは
僕がブランチを偏見的な目でしか見てないからだろうか?
しかしブランチの異常な性格や仕草は
単に斜陽族の社交性のなさとも言い切れないと思うのである
虚構に生きる昔の貴婦人と
★★★★★
何もかもなくしてもまだ痛ましい空回りを続ける彼女から、その虚構を容赦なくむしり取り、剥き出しの現実を暴く獣のような男。この二人の、本物の殺意と憎悪さえ伝わってくるような迫真の演技、ぞっとするほど恐ろしい。 間に入って苦しむ、良識ある妹の哀しいほどの優しさもいい。 この、過去に生きる女ブランチを見て、現在30代の私が思い出すのは、バブル全盛時代に就職した人達と共に仕事をした13年前の新人時代。リストラされ50代で契約社員になった年輩の人が「自分は数年前まで毎日億単位の金を動かしていたホワイトカラーだったのに」と虚ろな目で過去を語り、乱暴で野蛮なブルーカラー職で契約社員をしている今の自分が見えないという表情だった。氷河期でその荒んだ世界にもやっとの思いで潜り込んだ私には、いつまでも昔の夢を見ている彼等は、ブランチみたいに哀れに見えた。いい思い出がありすぎるって、残酷なことなのかもしれない。
残酷な人生をあまさず描く
★★★★☆
ブランチ(ヴィヴィアン・リー)は落ちぶれて、ニューオリンズの妹のステラ(キム・ハンター)の家に居候する。妹の夫のスタンリー(マーロン・ブランド)は、上流階級から転落したブランチとは反対の、下層階級に属する粗野な男だ。ブランチは今は虚飾にしかすがりつくところがない。彼女は求婚してくれたミッチ(カール・マルデン)からも見放され、スタンリーのいじめを受けて、精神病院に送られる。
電車の路線名が「欲望」、停留所の名前が「墓場」とは、人生の残酷さを象徴している。おそろしいストーリーだ。アメリカが舞台ではあるけれど、地方の名家の誇り高い女が、東京かどこかのスラム街に流れてきたとみれば、他人事ではない感じがする。映画はスタンリーの汗臭ささへ感じさせる。ブランチ、ステラ、スタンリーそしてミッチの4人の演技が格闘技のようにもつれあう。