今こそ廣松を読み返そう!
★★★★★
言いたいことは他のレビューアーの皆さんが言ってくれています。かの佐藤優氏は「戦後の日本で歴史に残る思想は?」と聞かれ、彼は「宇野経済学と廣松哲学」と答えていました。非(反)マルクス派の皆さんには異存があるかもしれませんが、マルクス主義という衣装をはずせば、納得できる部分もあるのではないでしょうか?今の若い世代にはわかりにくいかもしれませんが、戦後の日本にとってマルクス主義とは後進国の知識人と国民が世界に対して自己を主張するための唯一といっていいコード(あるいは文法)であったのかもしれません。廣松マルクス主義には、三木、福本の流れに位置する後進国(反近代=反西欧)インテリの最終ランナーという側面と、マルクス主義を時代に適応させようとする超近代の先頭ランナーという側面が奇妙に融合しているのです。ここに広松理論の魅力の一つがあります。もちろん両者の媒介項は「物象化」論ですが・・・。さて、廣松理論の最大の難点は変革主体の問題でしょう。もちろん観想的に「主体なき変革論」も不可能ではありませんが。どうもわれわれは廣松哲学と「ともに、そして抗して」with and against、もう一度変革主体の問題に立ち向かうときが近づいているように思います。「マルティテュード」でも「新しい社会運動」でもまして「市民」でもない新たな変革の主体とは・・・・・。
マルクス主義の言い訳・・・?ではないと思う
★★★★☆
社会主義国崩壊と言う最悪の環境下に書いているので、なんとなく言い訳めいていると感じる向きもあるが、著者の気迫に当たると、もう周囲の状況なんか関係ない、堂々たる論考である。資本主義は、原理的に、耐久財の需要サイクルに左右される。放っておけば、耐久財が行き渡って機能している限りは、耐久財の販売は鈍り、結局は購買者たる労働者を逼迫、一般消費財の購買にも支障をきたし、周期的に不況になる。好況を維持するためには、有効需要の捻出しかないが、わけても、奢侈品という、なんら、生産性がなく消えていく商品の需要と供給がサイクルを描いていることが望ましい。旧ソ連がGNPで世界第2位、米国に迫った理由は、強大な軍備維持、という「奢侈品」による「有効需要」の捻出によるもので、資本主義国も、最終的には、奢侈品を「捏造」しながら需要を落とし込まずにいなくてはならない。こういう指摘は、やっぱり資本主義の問題で、要らぬ需要を捻出するために環境破壊を促進してきたことは事実だ。だが、共産主義が回答になるかと言えばそうではない。ここが広松氏の苦しいところだと思う。それと、やっぱり読んでもわからないのが、「剰余価値説」に基づく「搾取理論」だ。経営者の労働がなぜ評価の対象とならず、労働者の搾取の結果だと言えるのか。著者は、そんなのあたりまえだろ、と言わんばかりに説明していない。「資本論」を読んでも良く分からないところだ。資本家の肩を持つ気はないが理に適っていないと思う。個人的にはマルクスの本領は「唯物史観」にあって、「本源的蓄積」の指摘は圧巻だと思う。
自家用車は必需品か贅沢品か?
★★★★★
最後の数ページが読めなかった。本書に限ったことではありませんが、私の場合、共産主義がバラ色の未来を語りはじめると、どうしても荒唐無稽に思えてしまいます。
共産主義社会は理想郷なのでしょうか? 仮に世界が共産化されたとしても、それによってあらゆる問題が解決するかどうか、私は疑問に思っています。理論上はともかく、共産化しても解消しきれない資本主義からの問題が残るかもしれないし、共産化したことによって新たな問題が発生するかもしれない。そうであるとしても、資本主義体制はもう限界に来ていますので、これまでのような修正を加えるだけでやっていくことは無理でしょう。社会は、資本主義を揚棄しなければ、もう生き残れない。でも、その前に、肝心の<社会>のほうが消滅してしまうかもしれないな。
フロイトは変革は必要だと考えていましたが、共産主義には否定的でした。その結果、彼の世界観は悲観的、絶望的ですが、私は結局フロイトが一番正しいのではないか、と思うことがある。今年はチェルノブイリ20周年に当たります。その脅威は現在も進行形ですが、原発は減るどころか増える傾向にありますから、いずれ世界のどこかで第二第三のチェルノブイリ事故が起こるでしょう。それがもし中国だったら、黄砂のかわりに放射能が日本列島を被い尽くすでしょう。中国よ、高度成長で電力が不足しても、原発はつくるな。日本はまだまだ増やすけど。ーーでも、まあ、エネルギーの浪費なくして資本主義は維持できませんから、現状のままなら、いずれどこかの国が放射能の黄砂をあびることになります。
ニーチェが言っているのとは別の意味で、私たちは本当に<最後の人間>を生きているのかもしれないなあ。<最後の人間>が読むべき本は、カントではなくてフロイト、ニーチェではなくてマルクス。
共産主義を知っていますか?
★★★★☆
共産主義というと、何だかネガティブなイメージをお持ちになる方が
多いのではないでしょうか?
確かに、歴史を紐解くとそのようにも感じられます。それがすべてで
あって、現実的には既に破綻した思想だと考えられなくもありません。
実際には、多くの悲劇を生んだのだから・・・。
しかし、これから共産主義革命を起こそうなどという社会・政治運動
のためではなく、純粋に学問的に、又は或る歴史の中で支配的だった
当時のイデオロギーを学ぶことは、必ずしも無意味ではないと思いま
す。現代の資本主義社会の中で、それを批判的に考えるためにも、当
然に知っておいて然るべき思想ではないでしょうか。
本書は、内容は入門として適切かと思いますが、文章が難解です。し
かし、読めないほどでもありません。全くの初学者でも読めました。
学問的雰囲気が漂ってくる書です。
マルクス教からマルクス主義へ
★★★★☆
著者は素晴らしい知性をお持ちのようです。マルクスの晦渋極まる理論の数々をその世界観から説き起こして、その世界の中での経済の意義、そしてその経済の中での労働の意味と、順を追って整然とした形で解説して行き、最後マルクスが見た夢に至るまでを、それに関する著作を縦横に引きながらとても明快に示されております。対象となる思想をただ翻訳、陳列するだけなら誰でも出来ますが、本書のように極めて平易な形で解き解して行くことは、著者自身がそれを深く理解していることが前提となり、そう簡単にできるものではありません。その点著者の知性には感服する次第です。しかし、文章は分かりやすくとも、その語句が不均衡に難解であるのには辟易しました。これには著者が所詮、哲学という世界の住人であることを思わずにはいられませんでした。
未だに大学にはマルクスなど研究している学者がたくさんいる、と。象牙の塔を批判しての話を聞いたことがありますが、しかし、本当にマルクスなど研究して無駄でしょうか。確かに彼の予言は外れましたが、彼の指摘は日々その正しさを証明しているように私には見えてなりません。資本主義の欺瞞を暴いた彼の言葉に共感を抱かざるを得ない事態が、現在のあちらこちらに散見し、その指摘に思わず納得するところも多いのが実状ではないでしょうか。御真影を掲げられて拝し奉られる存在には不足でも、批判され修正される偉大な社会学者、経済学者としてならば十分に今でも通用する傾聴すべき多くの点を持っているように思います。今だからこそ、そんな当たり前な評価も出来るようになっているのではないか、そしてマルクス自身もまた「止揚」されて行く所にこそ意味があるのです。楽園への案内者を志向したのではないかとすら見える部分をも含めたその思想の見取り図として、本書は「定立」の用を十分果すものとなっています。