脳みそをぐーるぐるとかき回されたい方にお薦め
★★★★★
この本は、無限に追いつけないパラドクスで有名なアキレスと亀の2人の対話を通して、科学と芸術における類似性や矛盾、再帰、ヒトゲノムなど様々なテーマが、「不思議な環」を形成することを綴ったエッセイであり自己言及であり、ああ、とにかくぐるぐるめっこなのだ。
ゲーデルは数学の世界で不完全性定理を唱えた人物、エッシャーはだまし絵で有名、バッハは言わずとしれた大作曲家である。
自己が自己に言及したり言語をその言語で記述するメタ言語は、巡り巡って矛盾を生み、元に戻ってくる。二次元の中で世界を記述する絵画では、登り続けた階段が同じ場所に戻る矛盾も生まれてしまう。聴いていて美しい音楽は数学的な美しさも持ち、親和性の高い調正に転調を繰り返しながらもいつの間にか元の調に戻ることも可能である。
情報基礎科学とは数学と芸術と音楽と様々な関係があるのである。文句なしに面白かった。さらに、おそらく英語でのだじゃれを何とか日本語に訳した苦労も忍ばれるのである。全体論と還元論の比喩に、蟻のコロニーと蟻の個体を使い、エッシャーの絵「蟻のフーガ」を挿入し、フーガの技法をもじって「フーガの蟻法」と段落名が付いている。もう、楽しいやら苦しいやら。脳みそをぐーるぐるとかき回されたい方にお薦めです。
アラン・チューリングのファンの方もぜひ読んで下さい
★★★★☆
数学ネタの「フィネガンズ・ウェイク」。
だから、訳者に柳瀬尚紀がいるw
数学用語も駄洒落で二重表記する、
壮大な数学ギャグの世界だが、
真面目な演習問題が延々と続くページは、
文系にはキツイかもしれない。
章と章の間にゼノンのアキレスと亀との漫才が挟まっているので、
漫才部分は、ルイス・キャロルの小説のように楽に読めるが、
真剣に考えて、練習問題を解きながら読むと
時間かかって仕方がないので、
斜め読みで軽く理解出来るところだけを飛ばし読みして構わないと思う。
ゲーデルの不完全性定理を
音楽プレイヤーに例えるというナイスな説明もあるが、
私が一番感動したのは、超自然数の話である。
ユークリッド幾何学以外に、
存在しない時空の幾何学、
ヒルベルト幾何学、運動量幾何学、位相幾何学などがあるが、
我々の自然ではない別次元の自然に、
超自然数というのを仮定出来るのだ。
我々の自然数で表記すると、
(3、-5、7)などのように3つのインデックスの組み合わせ表記するしかない
超自然数が存在するのだ。
自然数に対するクォークみたいな数字、
それが超自然数である。
そんなもんが何の役に立つかと言うと、
無限の極限の極少や極大を計算する時に役立つらしい。
一番小さい超自然数も、我々の自然の中にあるとするのなら、
アレフ0の彼方に位置づけられるらしいw
超自然数がある世界にはもちろん、
超無理数、超虚数もアレフ1にあるらしい。
アレフ2の超越数は、超超越数と表記される事になるので、
語呂が悪いので存在しないかもしれないw
というか、この本が書かれた時点では、
アレフ2は発見されてなかった感じ。
あと、アラン・チューリングの天才性は、
ゲーデルにほとんど匹敵することがうかがわれて、
チューリングファンは必読の書。
チューリングもほとんど不完全性定理に到達してたと思われ。
ホフスタッターは自意識ある人工知能が作れるという立場だが、
公式には絶対存在出来ないと諦観してるのが面白い。
心の再現に機械が成功したとしても、
「再現出来た心は人間の心の重要な本質ではない」
と因縁付けて、機械の心を認めない勢力が必ず跋扈すると予測してます。
ホフスタッター自身は機械が心を持った時点で、
機械と呼んではダメポと言ってます。
心の考察で、認知科学の色々な話題も語られるが、
パターン認識の話題は無くてもよかったと思う。
鳥でもピカソの絵とモネの絵は見分けられるのだから、
人間知性の本質は画像解析能力ではないと思う。
やはり文字、言語能力が本質だと思う。
情報を読み取る能力というより、
人工的な情報があると認識する能力、
フレーム認識が鍵だと私は思う。
鳥はピカソとモネが区別出来ても、
絵という概念は持ってないということです。
論理学と美、AIを考察する現代の古典
★★★★★
私はこの本を20年前に読み、
こんなすばらしい本が存在しえるのか!と
たいへんに強い衝撃を受けましましたが、
最近もう一度読み返してみました。
まずホフスタッターは、「この分は誤りである」という
有名なエピメニデスのパラドクスの
自己言及性からくる矛盾について説明します。
その後、形式システムとはどのようなものかを
簡単な例をあげて読者にわかりやすく説明し、
その実例について考えます。
ついで、それは数論でもおなじであることを示し、
ゲーデルの不完全性定理を納得させます。
ホフスタッターの主観では、バッハのカノンの主題の再帰性、
またエッシャーの絵に描かれるもつれた階層性についても
ゲーデルの定理と審美的に絡み合っているのです。
全編を通じて登場する、蟹とアキレス、アリクイなどの対話劇が
本書の芸術性を一層高めています。
特に対話劇「蟹のカノン」は、バッハのカノンを言語的に再構成したもので、
本書のなかでも特に美しいものです。
その後知性の本質について、またAI論について、
また意識の問題について、自己言及の立場から論じます。
なお、ホフスタッターはこの著作の後、
この意識の自己言及性の立場から
「Minds’ I」 や「I am a strange Loop」 などを書いています。
この点、無理に本書に難癖をつけるなら、
著者は人間知性が特殊だとは主張していないのですが、
AIの限界も強調するため、どっちの立場なのかあいまいな点でしょう。
この本を読まずしても、ゲーデルの定理を語ることは可能ですが、
それはゲーデルの定理を理解する人にとって、
たいへんもったいないことだと思います。
本書は哲学に興味のあるすべての現代人の必読書といえるでしょう。
「知能」の本質を考察した本
★★★★★
「知能」の本質を考察した本である。
といっても、知能とは何かはまだ分かっていない。
そこで、知能の周辺を記述することで、知能とは何かを浮き上がらせようとしているのか。
ところで、一部に、日本語訳オリジナルのジョークが含まれているようだ。
「このジョークは英語で何と言っているのだろう」と思って原書をあたったら、ジョークではなかった。
おそらく柳瀬尚紀氏の仕業だと思う。
現代版「生命とは何か」
★★★★★
1989年のペンローズの「皇帝の新しい心」よりもちょっと前、1985年に出版された本の新版です。作者もはじめに書いているように、この本の内容を一口で説明することは出来ません。というのも、一口で説明できないから、こんなに長くてメタ構造の本になったと思われるからです。
全編を通じて、アキレスと亀の漫才とも禅問答ともいえるような対話とエッシャーの絵が挿入されています。
二部構成になっていて、第1部では、おもにゲーデルの不完全性定理を軸にさまざまな話がかかれています。といっても、バッハやエッシャーの話、それ以外のいろいろな話も登場します。
第二部は、心、意識、人工知能、コンピュータといった内容が中心になっています。ゲーデルの不完全性原理については、他の研究者の意見を紹介し、反論したりしながら、作者の考えが述べられていますが、これも一口ではどうとは言えない流れです。
不正確さを承知の上で敢えてまとめるならば:
低次の系は完全であることが可能だが出来ることが限られている。この低次の系を包括するより高次の系はこの低次の系で分からないことが分かるが、その系の高度さ故に不完全さを持つ。さらに「この高次の系」より高次の系は、「この高次の系」の不完全さを完全に出来るが、自身の不完全さがまた存在する・・・
と、複雑・高度な系は不完全にならざるを得ない。永遠に出てくるマトリョーシカの様に、終わりはない。
人工知能が本当に進歩して、考える力を持つようになったら、それはたぶんあまり役に立たない。なぜなら人間と同じで、気まぐれでミスを犯す存在だから。
というような感じを受けました。
ペンローズの「皇帝の新しい心」や「心の影」とあわせて読むと視点が異なっているので、相補的に見えてくる気がします。