人恋しい放哉
★★★★☆
放哉には初恋の人である芳衛、子を産めない体の妻の馨という2人の女がいた。そして、この3者のそれぞれの思いは複雑である。この間の詳細は小山貴子さんが書いておられる。私には、友人への手紙を見ても、放哉が生涯人恋しさに耐えられなかった人のように思える。それを動物に託して以下のような句を詠んだ。
犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼
沈黙の池に亀一つ浮き上る
一日物云はず蝶の影さす
牛の眼なつかしく堤の夕の行きずり
蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る
鶴なく霜夜の障子ま白くて寝る
歯をむき出した鯛を威張って売る
考え事をしてゐる田にしが歩いて居る
とかげの美くしい色がある廃庭
口あけぬ蜆死んでゐる
なお、最後の句のもとの句は「口あけぬ蜆淋しや」であり、師の荻原井泉水の添削により現在の形になったと編者の池内紀氏が解説している。
尾崎放哉の句には一休さんの詩にも通じる凄味がある!!
★★★★☆
尾崎放哉(ほうさい)の句には、「うまく詠もう」とか、「人に気に入ってもらおう」などという、いやったらしい気負いがまるでない。一見それは、駄作のようにも見えてしまう。しかし、よくよくその句の奥にある心を覗くと、ぞくっとするような凄みがある。まるで禅僧が何気ない風景に己のこころを発見したような揺るぎない句境がそこにはある。
誰が何と言おうと、尾崎放哉(おざきほうさい:1885─1926)は、尾崎放哉だ。この句集には、こんな句もある。
借金とりを返して青梅かぢって居る
貧乏徳利をどかりと畳に置く
経済格差が広がっていると言われる昨今、現代の日本人が、どのようにエリートからドロップアウトした「尾崎放哉」の句を受け止めるのか興味がある。読み終わった後、“貧困の代償として魂の自由を得た真の芸術家放哉よ。永遠なれ”と叫びたくなった……。
放哉の違った一面
★★★★★
清秋の昼下がりに地元の本屋で購入した。住んでいる国立(くにたち)という小さな街では ちょうど 天下市という秋祭りで大変ごったがえしていたが 本屋の中はいつもと同じ静寂さであり 祭りの喧騒に疲れた耳を休めることが出来た。
尾崎放哉というと「咳をしてもひとり」に代表される 孤独な句人という印象しかなかったが この句集をぱらぱらと見ると 決してかような隠遁者だけではない一面も見えてくる。
「すばらしい乳房だ蚊が居る」
「お祭り 赤ン坊 寝てゐる」
「たくさんある児がめいめいの本をよんでる」
このような句を見ていると 放哉の違った一面が見えてくるような気がしてくる。
放哉の句は やはり秋から冬にかけて旬を迎える気がする。まさに これからだ。
死を目前としとりながら枯淡の境地での日常生活を直截的に表現しとる
★★★☆☆
放哉の魅力は、死を目前としとりながら枯淡の境地での日常生活を直截的に表現しとる点にあると思う。1885年生まれ、30歳までは定型句、1926年没まで自由詩に移るが、名を残したのは晩年数年の句。前半生の作、山茶花やいぬころ死んで庭淋し、別れ来て淋しさに折る野菊かな、君去って椅子のさびしき暖炉哉(明41)、腹押せど啼かずなりたる雛かなし(大3)、など好きです。
興味深いのは、大学で1年先輩の荻原井泉水の添削を受けている点。92歳まで生きた井泉水(40歳で亡くなった坂井泉水は、井泉水をもじった、作詞家としてのペンネームやったのかも)は同人誌エディターとして、放哉晩年の句にも大胆な添削をして、俳人同人誌に掲載しとる。
墓から墓へ鴉が黙つて飛びうつれリ(大5)、女乞食の大きな乳房かな、児等が帰りしあとの机淋しや(大7)、松の実ほつほつたべる灯下ぞ児無き夫婦ぞ(大12)、友を送りて雨風に追はれてもどる、わかれを云ひて幌をろす白いゆびさき、乞食の児が銀杏の実を袋からなんぼでも出す、銅銭ばかりかぞへて夕べ事足りて居る、友の夏帽が新らしい海へ行かうか、栗が落ちる音を児と聞いて居る夜、落葉へばりつく朝の草履干しをく(大13)、片目の人に見つめられて居た、犬よちぎれる程尾をふつてくれる、うつろの心に眼が二つあいてゐる、ころりと横になる一日が終つて居る、叱ればすぐ泣く児だと云つて泣かせて居る(大14)、いれものが無い両手で受ける、咳をしても一人、ひどい風だどこ迄も青空(大15)、言ふ事があまり多くてだまつて居る、胸のどこに咳が居て咳くのか、禿げ頭を蠅に好かれて居る、火の無い火鉢に手をかざし大14〜15)。巻末に入庵雑記もありますけど、やはり放哉の魅力は、最晩年の則天去私的な、しかしありふれた日常を描いておるところがゴツイ。後世の我々がマネしてもダメで、放哉は最初これをやりはったんですわな
放哉の句が手軽に味わえます
★★★★☆
今でも愛好者を持つ放哉の句を手軽に味わえます。
気に入ったのは、
一日物云はず蝶の影さす
たつた一人になり切つて夕空
うそをついたやうな昼の月がある
わがからだ焚火にうらおもてあぶる
こんなによい月を一人で見て寝る
烏がだまつてとんで行つた
水たまりが光るひよろりと夕風
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
あらしがすつかり青空にしてしまつた
働きに行く人ばかりの電車
掛取も来てくれぬ大晦日も独り
ざるから尾頭ぴんと出して秋風
お客さんにこの風を御馳走しよう
すぐ死ぬくせにうるさい蝿だ
女よ女よ年とるな
噴水力のかぎりを登りつめる
今朝は俺が早かつたぞ雀
お月さんもたつた一つよ
この岩波文庫の貴重な点は、解説において、1996年に発見された投句稿から、放哉の原稿と荻原井泉水の添削後の作品の相異が指摘されている点です。たとえば、
放哉の原稿 いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞
添削後 壁の新聞の女はいつも泣いて居る