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世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: 青土社
Amazon.co.jpで確認
社会主義、伝統的なライフスタイルへのノスタルジーに浸った反グローバリゼーション&開発機関批判 ★☆☆☆☆
全ての貧困の原因がグローバリゼーションと開発機関の政策にあるかのように主張する
典型的な反グローバリゼーションのトンデモ本。

貧困の状況を示すために1日1ドル以下で暮らす人々の比率を示す一方で、一人あたり
国民総所得や貨幣価値だけで生活の充足度は計れないと主張し(更にひどい事に所謂
「1日1ドル以下」の定義を著者・訳者共に誤認しており、読者に誤解を与える)、
安全な水や薬品が手に入れられないと嘆きながら、水道・病院等のインフラ整備をする
援助を批判、国内政策のマズさは無視している。

もちろん過去、そして現行の援助政策に問題が無いわけではないが、貨幣経済に参加する
ことで得られる便益や伝統的なライフスタイルや閉鎖的な貿易政策の負の側面を無視している。
また、例えば公共サービスを受けるには最低限事業を維持するための受益者負担が必要、
との視点も欠落している。

貧困の状況や現在の問題点を知るにはもっと他にバランスの取れた良書があり、
敢えてこの本を読む必要は全くない、くだらない批判一辺倒の「反グローバリゼーション」
の一例として読むのであれば話は別だが。






グローバル経済の負を告発 ★★★★★
 一億総中流といわれた日本。今や格差社会の到来といわれ、ワーキングプアという言葉も聞かれます。
 世界に目を向かれば比較を絶する現実が存在します。
「個々の貧困者が死ぬ可能性はいくらでもあるが、貧困が根絶する可能性は皆無である」と著者は言及。
この本によれば、人類の半分が一日2ドル未満で暮らしているようです。また、世界で最も裕福な200人の資産は、人類全ての年収の41%を超えるとも。
 
 「生きるためにゴミをあさり、排気ガスだらけの道路で物乞いをしている」コンゴのストリートチルドレンがいます。
一方では、要塞のような大邸宅に住むブラジル銀行家がいます。
この格差はどこから生じるのか。

 キーワードは、「グローバリゼーション」にあると。つまり、全ての国を一つの世界経済システムに統合することを言います。
この結果、富が一部の人間に集中して、貧困が広がるのだそうです。
 
 著者が言及する処方箋は、ガンジーや、タンザニヤの指導者ニエレレを実践のモデルとしています。
世界経済システムからの自立です。地域経済を再活性化し、自然資源を大切にすること。欲望を自制し、できる限り自給自足にすること。

 本書は、経済のグローバリゼーションと、どのように向き合えばいいのかを思索する良いヒントを提供してくれます。
第一にエイズ対策医療、第二に教育主義 ★★★★☆
 貧困の過密地帯としての中印が経済発展と同時に人口抑制により適度に緩和されていくとしても、アフリカにおける黒人の貧困が相当深刻であることが判る。緊急問題としてエイズ対策がまずあるようだが、単なる食糧不足の場合物量で圧倒できないものかと個人的には思ってしまう。それが不可なら手の施しようが無いということではないか。
 キレイゴトの市場主義を押し付けてきたIMFへの批判を独り孤立覚悟で展開して話題となったノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)と全く同一主旨であり、本書でも一言触れられているが、欧米内でのグローバリズム批判の一定見を確認することができる。IMF、世界銀行、先進各国の貧困に対する無為無策振りというより、それらに加えて貧困問題の複雑さは戦後世界、冷戦後の世界が当初考えていたよりもっと酷いものだったとうことだ。貧困問題をちょっと考えてみるところから、仮に実際にそれを解決しようとするなら普通の常識や経済学を適用することが安易すぎる軽率になってしまうことが判る。グローバル経済の推進機関に対し世界政府としての責任を転嫁できない仕組みが必要だし、現状の貧困の打開と伴に貧困の発生・拡大という危機回避のための新たな真のグローバリズムが必要であろう。
みんな気づいているんじゃないのか? ★★★★☆
貧困の話をしよう。50年前には、オレたちの国でも誰もがその言葉の意味を実体験として知っていた。それが多くの人々にとって自分の生き方だったから。貧困の形はどこでも大きな違いはない。今だって世界中に貧しい人々が溢れていることに気づかずにはいられないし、その暮らしぶりはほとんど同じに見えないだろうか?それは植民地支配によって自国を発展させた先進国(その言葉の意味が何であれ)も皆通ってきた道であり、だからこそ国連を始め様々な国際機関が撲滅に努めてきたものである。だが、支配し富を搾取する植民地などもうどこにも残っていないのに、どうして彼らに同様の発展が遂げられるだろうか?すべての途上国が豊かになることなど、初めから不可能な夢ではないか?同じ発展を支えるだけの資源が地球上に残されていないことなら、わかりきっているのだから。

ここまでは誰もが知っている話だろう。これは、単に地球上で繰り広げられる富の配分の不均衡の話ではない。富の不均衡がますますひどくなっているのは、グローバル化する世界ではそれ以外の進歩の形が許されないからだ。つまり、第一次産業を見下し西洋型の開発モデルだけが国を救えると教えつけること、グローバル市場に参加することこそが彼らが考える豊かさをもたらすことになっているのだ。多国籍企業の効率良い生産と分配の中では、個人の生産者が勝負に勝てる見込みはない。労働者は、ただ歯車の1枚として大きなシステムの一部に取り込まれる。それは個人の幸福よりも金銭的効率に価値のある社会であり、すべての価値は貨幣価値によって示される。貧困の度合いもそうだ。

だが、たとえ1日1ドルで暮らしていようと、生活に必要なもののすべてを自給自足で手に入れ何も買う必要がないのならその暮らしは貧しいだろうか?反対に、1日200ドルの金を稼ごうと、生活に必要なものを市場で買う必要がありそれには200ドルで足りないのなら、その生活は豊かだと言えるのだろうか?自分たちは幸せだと思うと答えた人々が貧しいバングラディッシュにおいて高い割合を占め、日本では低い理由は何なのだろう?先進国で精神的疾患が増え続け犯罪がなくならない理由は何なのか、未だにオレたちにはわからないのだろうか?日本を含め、多くの先進国の若者を冒す根深い社会病理に気づいていない人がいるだろうか?

「本当に自由な人とは、自分の食べ物を育てることができる人たちです。」とマレーシアの農民は作者に語ったそうだ。同様に、ネパールで「日本の子供たちは食べる物に困らず高い教育も受けているんだから、きっとすごく幸せなんでしょうね?」と問われたオレには何も答えられなかった。明らかに、幸せではない者の方が多いように思えたが、そう答えたらネパールの人々は侮辱されたように感じなかっただろうか?本当は、誰もがこの本に書かれた構図に気づいているのではないのか?少なくとも、精神的な豊かさが物質的な豊かさから生まれないことならとうの昔に気づいていたはずではないか?つまり、貧困は貧しい国だけの問題ではなく、オレたち自身もまたその価値観によって苦しめられ、別の形の貧困を味わっているということだ。

the NO-NONSENSE guideの1冊として発刊された本書は非常に短くシンプルだが、貧困の姿を的確に描き出し、解決の糸口のようなものも示してくれてさえいる。実現できるかどうかは別として、多くの人に読んでもらいたい提言である。