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新自由主義―その歴史的展開と現在

価格: ¥2,730
カテゴリ: 単行本
ブランド: 作品社
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D・ハーヴェイによる新自由主義論の包括的サーヴェイ―われわれの行方は? ★★★★★
 ソ連型社会主義の崩壊以降、グローバル資本主義、市場原理主義、新保守主義そして新自由主義をめぐる、ことにその批判的論議が活性化していることは周知の事実である。国民の政治的関心を高めることに寄与したとしばしば評価されるかつての小泉政権の影響もあり、新自由主義の本質とその社会経済的帰結を世界史的レベルでどのように理解すべきかという問題は、社会科学としての経済学を学ぶものにとって最も重要なホット・トピックスの1つに違いない。本書は経済地理学者ハーヴェイによる包括的な新自由主義論の分析書・批判書であり、「新自由主義国家」や「地理的不均等発展」といった彼独自の概念に依拠した系統的な考察が実に印象深い現代的好著である。

 本書は全7章から構成されているが、どの章も含蓄に富み、この分野の初心者である私は多くのことを学ぶことができた。「問題の核心は、新自由主義が掲げている公けの目標―万人の福利―とその実際の結果―階級権力の回復―とのあいだの深淵が急速に広がっていること」(111頁)であり、「新自由主義理論の真髄の1つは、自立、自由、選択、権利などの聞こえのいい言葉に満ちた善意の仮面を提供し、剥き出しの階級権力の各国および国際的な―とりわけグローバル資本主義の主要な金融中心国における―回復と再構築がもたらす悲惨な現実を隠蔽することなのである」(164頁)といった主張など、銘記しておきたい箇所は数多い。

 日本に関するハーヴェイの議論がないのは残念だが(「付録」として、監訳者の渡辺治教授の有益な論稿がある)、アメリカやイギリスといった先進資本主義諸国における新自由主義理論の普及過程とその負の余波に関する考察はもちろん、東アジア、南米やアフリカ諸国、そして中国(第5章)についても意欲的な論及がなされ、経済地理学者としての学問的力量が遺憾なく発揮されている。新自由主義を支える経済思想の内実(78頁)を含め、終章で暫定的に提起されている諸問題・オルタナティブ論については今後も慎重な検討を要するだろう。しばしば言及されている、スティグリッツの議論への批判的見解も興味深い(それと同時に、A・センの『自由と経済開発』に対する批判的評価をもう少し詳しく知りたかった)。多くの読者が彼のダイナミックな議論に触発されるのではないか。

 経済学の歴史を紐解いてみても、今なお時代は「マルクスよりもスミス、ケインズよりもハイエク」なのかもしれないが、長期的スパンで眺めてみれば、どこかでそれは逆転するかもしれないし、単一の経済理論・思想に「収斂」する可能性は決してないであろう(それは危険なことですらある)。われわれの世界はこれからどこに向かうのか―そして向かうべきなのか―というスリリングな挑戦課題に取り組むうえでも、新自由主義論をめぐる諸論議に各自が積極的にコミットすることが大切ではないか。本書はそのための意義深い契機を与えるものである。ハーヴェイ教授の続編を今は心待ちにしつつ、最後に次の文章を引用しておきたい。「新自由主義が、支配階級の権力回復という(成功した)プロジェクトを偽装するための(失敗した)空想的レトリックであることが認識されればされるほど、平等主義的な政治的要求を唱え、経済的公正、フェアトレード、より豊かな経済保障を追求する民衆運動が復活してゆく基礎が築かれてゆく」(280頁)。
一見ラジカルな「新自由主義批判」にひそむ3つの根本的欠陥 ★☆☆☆☆
1.新自由主義は、資本家階級が権力を奪い返す過程?
こう規定すると、新自由主義以前のケインズ主義=フォーディズムでは、資本が退き、労働者の力がより強かったことになる。だが実際は、高賃金による市場確保=資本蓄積の維持と、大量消費→生活水準向上→保守化による社会安定を基調とするフォーディズムに、恐慌・階級闘争抑止という資本主義持続の論理は貫徹していた。社会主義に近づいていた訳ではない。新自由主義への転換を資本家権力奪還のように描くのは一見ラジカルだが、フォーディズムが社会主義前夜だったというとんでもない現代資本主義認識を提示したことになる。

2.中国を「新自由主義」と規定、米・英の覇権を軽視
トウ小平は、社会主義を市場原理主義に入れ替えたのではない。現在も中国は、ソ連・東欧社会主義崩壊直後にとられた新自由主義経済改革の失敗を教訓とし、為替・金融・土地・労働移動・インフラ等を国家管理において、開発主義国家というべき体制を続けている。中国経済が「新自由主義」化した時期をトウ小平にまで遡る本書の主張は、新自由主義がグローバルな地政学のなかで米国・英国による世界制覇への戦略的手段として展開された事実を軽視し、新自由主義を棄てた中南米左翼政権が中国にその代替を求めているダイナミズムも見抜けない。

3.革命戦略の欠如
新自由主義で資本と労働が正面から対峙するなか、NGOまでも資本のトロイの木馬にすぎないというなら、新自由主義を超克する手段はもはや社会主義革命しかない。だが、どう革命するのか? 本書は、「プロレタリアート独裁」の是非、周辺諸国から中枢に攻め上る毛沢東主義の評価、社会主義経済崩壊から学ぶべき教訓、等についてほとんど語らない。前衛党が極めて弱いか存在しないアングロサクソン的偏倚といえばそれまでだが、大陸欧州や日本の社会科学者が直面させられてきた重い問いから呑気に逃げている。

本書に期待していただけに、失望も大きかった。
総論。 ★★★★★
 お金のある者が有利になる世界を作ろうとするイデオロギー。
 それが新自由主義である。
 政治の力としては法律をいじくり、規制緩和と市場原理にまかせるように誘導する。
 考えてみると、これは結果として粗悪品の薄利多売に至る。
 たとえば日本の良品が中国のコピー商品と競争してよいという規制緩和さえ認められれば、粗悪品が日本の良品を市場原理によって淘汰するのである。、
 また、非正規雇用の規制緩和は賃金の市場原理によって低下してゆく。労働の価格化であり、労働価格競争となってダンピングされるのである。
 新自由主義は経済を停滞から、富裕者のトリクルダウンによって救うと見せかけた。だが、格差を拡大させてきただけである。
 注目できるのは中国が、新自由主義を採用した点にある。
 本来、新自由主義は資本主義に対立する社会主義を敵視してきたが、実際の動きは国の資本増強のために強いところは徹底して強く、弱いところは排除していく論理を政治的に推し進める点にあった。中国は国家として発展しつつも、地方と都市部の格差に悩まされ、それをナシュナリズムで補おうとしている。もちろん、この傾向は中国に限らず、米国、欧州、日本にも顕著である。
 世界の上層階級同士の連携維持、強化がはかられ、世界は一部の勝ち組と大多数の悲惨な負け組みが生まれ、世界は地球規模の中世的停滞が生まれると思われるが、もちろん世界の富裕層はそれを統合した金融市場によって実現しようとするが、それまでに、その変革には地理的な温度差がある。
 日本は世界の新自由主義化の波には先進国と発展途上国の中間点にあるやや時代遅れの新自由主義であり、「改革がいまだ不徹底で、過渡的なものである」とのレトリックが通用するがそろそろ問題はあらわになってきた様相を呈している。
狙いを明らかにしたのはよいが、単なる批判ともいえる ★★★★☆
1、この本の長所
(1)新自由主義の狙いの一つを「階級権力の回復」(要は富裕層やエリートに富や権力を戻すこと。新自由主義を妥当としつつ、不都合な事実を副産物とすることなく)と喝破し、一貫した論述がなされているところ。
(2)新自由主義の不都合を、あらゆる事例を検討しつつ(英米のみならず、中国まで検討している)明らかにしているところ。
2、この本の短所
新自由主義の批判はいいが、それならば(1)ケインズ流「埋め込まれた資本主義」やマルクス流共産主義はうまくいっていたのか(うまくいっていなければ何らかの政策変更は当然だと思う)、(2)今後どのような道を選択すべきか、がはっきり書かれていないので、単なる批判に終始しているともいえる。
3、渡辺治さんの論考は、日本の特殊性(新自由主義化における否定対象が政権与党であるがゆえに、新自由主義化が遅れた、など)がうまく書かれて、参考になる(ついでに言うと、自社(さきがけ)連立政権にもそれなりの理由があったのですね)。
4、結論―1と3は星5つ、2で星1つ減らして、星4つ。
新自由主義カルトから脱会するために ★★★★★
新自由主義−ネオリベラリズム−とは、市場での自由競争によって個人や企業、社会、国家、さらには世界全体の富と福利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論である。本書は、市場原理主義とも言えるこの「特殊な教義」が、どのように発生し、あたかもそれが常識あるいは唯一の選択肢であるかのように世界中で受け入れられていったのかということを、1970年代以降の政治経済史を読み解きながら明らかにしてくれる。

 著者の結論から言えば、新自由主義とは「支配階級の権力回復という(成功した)プロジェクトを偽装するための(失敗した)空想的レトリック」である。新自由主義は、あまりに日常的な価値判断に組み込まれているために、私たち自身がそうと認識できなくなっているカルトのようなものかもしれない。お金にまつわる様々なことを個人の能力と結びつけて、社会的経済的な不公平を「自己責任」の名のもとに許してしまうこと。職場で不当な扱いを受けても自分が我慢をすればよいのだと不条理に適応してしまうこと。…新自由主義は、経済成長ではなく格差の拡大を真の目的としたプロジェクトであり、私たちのそうした思考は新自由主義によって誘導され、そのことによって新自由主義が正当化される回路も完成する。

 では、その回路を断ち切るために、私たちには何ができるだろうか。著者は、実践と分析をフィードバックさせる対抗運動を展開することで、新自由主義に代わって新保守主義が台頭してくる流れを止め、それらとまったく異なった価値体系、すなわち社会的平等の実現に献身する「開かれた民主主義」を選び直すことができると主張する。日本でも小泉政権の「構造改革」によって非正規雇用者が急増し、多くの人の不安を餌場にする形で「愛国心」を掲げる安倍政権が登場した。

「美しい国」?ホワイトカラーエグゼンプション?…そろそろやられっぱなしは終わりにしませんか?