喜劇役者としての大河内傳次郎
★★★★★
私が家でゴロゴロしているのを見かねて注意してきた妻に、
この映画の大河内傳次郎の物真似をして惚けてやったら、
妻は本気で怒ってしまい、離婚のきっかけとなった素晴らしい映画です。
初めての清水宏
★★★★☆
風景描写がいい。ロバが畦道をトコトコ歩いていくところなんか特に。
すっとぼけたユーモアは、ジャック・タチというより水木しげるに近いかな(『河童の三平』)。
2ヶ所、屋敷を横断する豪華な移動撮影があって、度肝を抜かれたけど、
技巧を凝らした演出はそれくらいで、あとは終始、淡々とできごとを語っていく。
カメラは人物と一定の距離を保っていて、まるで極度な感情移入を妨げようとしているかのよう。
泣けはしないが、消費もされない――
柳田国男は「風景こそが日本人のアイデンティテイである」と言っていたっけ?
不思議な映画だ。
『シネマ大吟醸』によると「清水宏の最高傑作」だそうです。
孤高の天才=清水宏が仕掛けた<再生の物語>
★★★★★
『小原庄助さん』は、長閑な農村風景の中で無類の好人物を育んできた古き良き時代が失われつつある日本を描いた、清水宏監督渾身の作品です。旧家の名士にふさわしい飄々とした風貌と挙措、佇まいに大人の風格と典雅さを宿す主人公は、民謡に歌われた伝説の没落「庄屋」そっくりの<身上潰し>として、鈍感かつ要領の悪い人物にも見えます。
時代はたぶん昭和前期だと思われますが、戦後の農地解放で消えゆく運命の地主制度の最期を哀惜を籠めて記録したような気がします。大河内伝次郎の妙味溢れる主人公ぶりは流石です。夫人役の風見章子、おさんどん婆や役の飯田蝶子、洋裁ミシン教師役の清川虹子、金融業者の取立て役の田中春男など、芸達者な連中が脇を固めているのも楽しめます。
家柄の良さを慕って持ち込まれる頼み事を断わりきれない主人公小原庄助さんは、とうとう時勢に抗することができずに、先祖伝来の家屋敷や骨董など家財一切を処分して借財を清算する羽目に陥ります。愛用のロバを乗り捨てて身一つの軽やかさを得た主人公は、先の見えない田舎道を辿り始めます。流れる曲はご存知あの賑やかなフレーズ。「小原庄助さん、何で身上潰した。朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上潰した。ああっ、尤もだ、尤もだぁ…。」
この監督は相当な臍曲がりです。夫に愛想をつかした筈の女房が追いかけて来て夫婦二人連れで進む後姿が、まるでチャップリンの「モダンタイムス」を彷彿とさせるラストシーンだと思わせた瞬間、タイトル(題名)の下に「終」でなく「始」の文字を出して来たのです!
<再生の物語>はここから始まると言いたいのです。さあ、お客さん、あとは勝手にご想像でお楽しみくださいと。<孤高の天才>清水宏は、一味も二味も違う曲者監督そのものです。