とにかく面白い。
★★★★★
福沢諭吉が齢60を過ぎてからその人生を綴った自伝。「藩政の楊枝をもって重箱のすみをほじくるその楊枝の先に掛かった少年が、ヒョイト外に飛び出して故郷を見捨てるのみか、生来教育された漢学流の教えをも打ちやって西洋学の門に入り、以前に変わった書を読み、以前に変わった人に交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に往来すれば考えはだんだん広くなって、旧藩はさておき日本が狭く見えるようになって」いった経緯を生き生きと描き出す。
緒方の塾での艱難苦学の体験には嘆息させられる一方で、多々盛り込まれている学友とつるんだ数々の大胆な悪戯のエピソードなどには若者時代の福沢のやんちゃな側面が表れていて思わずニヤリとさせられる。初めての訪米・訪欧体験も興味深い。江戸時代の日本に生まれ育った一人の若者がいかに西洋に相対したかをあますことなく伝えてくれる。そのアジア観はしばしば批判されるところであるが、本書でも西洋に対するのとは対極的な福沢のアジア認識が垣間見れる。また、門閥制度的な身分社会を痛烈に批判しつつも、こじきについては「きたなくてきたなくてたまらぬ。今思い出しても胸がわるいようです。」と述べるなど、そのような階層が生じてしまう社会構造への認識やその処方箋を案出しようとする志向はほとんど見られないのも気になる。だが、認識や思想は経験から紡ぎだされる。現在の視点から批判することはたやすいのだろうが福沢の生育環境や実生活を念頭に置きつつ、なぜそのような思考・思想に至ったのかを想像する作業こそ有意義に違いない。本書は口語体で書かれており、非常に読みやすい。カラッとした爽快で心地よい読後感。本書に向き合うに当たっては、大思想家の自伝だからとして身構えるのでなく、時代が動きはじめていた幕末の日本にあって一人の若者がどのように旧い構造と新しい潮流とに直面し、見極め、もがき、切磋琢磨しつつ自らの認識と思想を紡いでいったのかを追体験するつもりで読んでいきたい。福沢諭吉の生涯からは今を生きる自分たちも学ぶことは多いに違いない。